テーマ:独り言(100)
カテゴリ:独り言
この頃ずっとこの話が頭から離れないでいた。
いつか書こうと思いながらも、中々頭の中で纏まらなかった。 シカゴの曲に「愛ある別れ」というのがあるけれど このタイトルがこの話にはぴったりだった。 大した話じゃないのかもしれないけれど よくあるお話に過ぎないのかもしれないけれど その時のその二人はとても真剣だった。 みんなは笑っていたけれどあの二人にとってみたら 世界の終りみたいだったのだと思う。 愛し合っていながら別れるということは そういうことなのだろう。 中学1年の頃のことだった。 サッカー部の部長で、生徒会長のムラタ君という人は随分古いけれど 「草原の輝き」という映画の頃のウォーレン・ベイティと 「波止場」の頃のマーロン・ブランドを足して二で割ったような甘いマスクの人だった。 いろいろな例えを考えたけれど、この二人以外は浮かばなかった。 最近の俳優では例えられなかった。 性格も良くてとても親切だった。2才上の兄とムラタ君は同級で 私がまだ中学に上がる前には、よく家に遊びに来ていた。 だからムラタ君は私のことをちゃん付けで呼んでいた。 部活の後水飲み場で会ったりすると 「〇〇ちゃん、練習きつそうだね」 とか 「体育館閉めっぱなしで練習して暑くない?」 とか話しかけてくれた。 私はバレー部に所属していた。 1年生の女子の間でもとてもムラタ君は人気があった。 でもモテる男の子が持っているような浮ついたところとか 意識しすぎて格好をつけているようなところもなかった。 彼はごく自然体だった。 そしてとてもひとりでいることが似合う人だった。 三年になってからはサッカー部の中にいる時以外はほとんど一人でいた。 どこかが違っていた。 自分の世界があって、ひとりでいる時はその世界を彷徨っているように見えた。 その世界と共鳴し合える世界を持っている人がいなくて ひとりでいることを好んでいたのではないかと 今あの頃を振り返り、そう思う。 その頃私と仲が良かった友達は同じクラスで部活も一緒のアキコという子だった。 アキコは小柄でいつも飛び跳ねているように見えるくらい元気一杯の子だった。 父親が何処かの大学病院の医者で、お母さんが教育熱心だったから 頭が良くて理屈っぽかった。 そして直ぐに怒るタイプだった。 でもとても可愛いところもあって、何故か私をとても好いてくれていた。 夏休みからはほとんど彼女と行動を共にしていた。 二学期が始まって間もない頃、ムラタ君と昼休み職員室の前でばったり会った。 彼は用事を済ませて帰るところで、私はこれから担任に話をしに行くところだった。 担任との話が済んで職員室を出ると、ムラタ君が待っていた。 ムラタ君は職員室から少し離れたところにいた。 「ねえ、いつも一緒にいる小柄な子いるでしょう?」 「部活も一緒の子ですか?」 「そう、そのこ、なんて名前?」 「シタラアキコっていいますけど」 「シタラさんていうんだね。 そっか、あのね、実はね、シタラさんと一度話がしたいのだけれど 上手く伝えてくれるかな?」 「うまくですか? つまり、アキコが好きってことですか? もしかして」 「そうなんだ。 実は彼女の事前から可愛いって思っていて、でも中々言えなくて それで今たまたま〇〇ちゃんに会ったから、思い切って話したんだけど」 と言ってムラタ君は一人で照れていた。 だから 「そういえば、アキコもいつもムラタ君のこと、カッコイイとか言って騒いでいますよ」 と付け加えると 「え、ほんとうに?」 なんて言って喜びを隠せないくらいに嬉しそうにしていた。 「アキコにはちゃんと言っておきます。 アキコがOKだったら、ムラタ君に知らせますね。 多分OKどころじゃなくて大喜びだと思いますけど」 実際アキコは信じられないほどの喜びようだった。 「夢見たい!」 というのがアキコの第一声だった。 早速にムラタ君に部活の後水飲場でアキコがOKだと知らせると 彼もアキコとおなじように 「夢みてるのかな?俺」 と言った。 同級生だったらほっぺたをつねって夢ではないと教えてあげたけれど。 それから二人の交際が始まった。 今までいつも一緒だったアキコはムラタ君と暇さえあれば一緒にいた。 昼休みに二人はよく屋上で会っていたし、帰りも一緒に帰っていた。 そして休日も一緒だった。 とても仲が良くて、はたから見ているとこっちが恥ずかしくなるくらい 二人とも幸せな気持ちで一杯だった。 ムラタ君は同じ学年の女子にも人気があったから 1年の小娘にムラタ君を奪われた3年女子は そのやり場のない憤りを二人にぶつけていた。 「馬鹿じゃないあの二人」 「ムラタも馬鹿みたい」 という非難を浴びせていた。 そしてアキコと同級生の女子もアキコが許せなかった。 「何でアイツなの」と。 二人が幸せであればあるほど、周りは非難をして、二人を馬鹿にした。 そして無視した。 アキコはみんなに話しかけても みんなはまるでそこにアキコがいないように振舞った。 私以外の女子と話をする事が出来なくなっていた。 アキコの前でみんなはムラタ君を馬鹿にするような事をわざと話した。 その内容も聞いていて嫌になるくらい酷かった。 「もうやめなよ。そんな話。ちょっと酷すぎるんじゃない」 と言っても、みんなは笑って話し続けていた。 アキコに気にしちゃ駄目よ、と言ったところで 気にしない訳もなかったし みんなはまるで悪い事をしているという実感もなかった。 自分たちが正しいと思っているのだ。 言われるような事をする方が悪いと。 集団になると訳のわからない理論が成立してしまうのだ。 それが余計に二人の結びつきを深めていった。 けれど二人からは笑顔は消えていた。 二人はいつも悲しそうだった。 アキコはいつも泣いていた。 それをムラタ君が慰めていた。 アキコとはよく電話で話した。 学校ではあまり話す時間もなかったし ムラタ君との話を学校ではしたくなかったみたいだった。 自分のせいでムラタ君まで酷い事を言われているのが耐えられないと。 自分はいいけれど、自分の好きな人がそんな目に合うことは嫌だと言っていた。 だから別れた方がいいのではないかとこの頃思うようになったと。 そしてムラタ君からも電話があった。 「アキちゃんが可哀想だから、話を聞いてあげてくれる? 頼れるのは〇〇ちゃんしかいないから。 何かしてあげたくても何も出来ないし もっと俺がしっかりていればこんなことにはならなかったんだけど」 と元気のない声だった。 ムラタ君のお父さんは何をしている人か忘れたけれどとても偉い人で 受験もあって志望校もとても高いところを目指していたから アキコとの事と勉強との両立で大変だったと思うけれど 彼は何があってもとても落ち着いていた。 けれど運命は二人を引き離す事に何のためらいもなかった。 アキコの父親の仕事の関係でアキコの一家は横浜に引っ越すことになった。 年が明けて、一月の終わりごろが引越しと決まった。 東京と横浜なんて大した距離ではないけれど、その頃の二人にとっては 北海道と沖縄くらいの距離感だたのではないかと思う。 隣の学校に転校しただけでも、世界がガラッと変わってしまう年頃だった。 引越しが決まった時それを言いに夜、家にわざわざアキコが来た。 私の顔を見るなりいきなり泣き出して、それからずっと泣いていて 涙が引いて、笑顔が戻ってから帰って行った。 親と引越しの事で口論して家を飛び出して来たのだった。 とにかく二人が幸せだったのはほんの一時で 後はもうひたすら悲しい事ばかりだったけれど 純愛ってそういう宿命なのだろうか?と思う。 カゲロウのように短命なのだ。 そして幸福感が大きければ大きいほど、悲しみはより深くなる。 アキコは最後に私との思いでも作りたいといってくれて その頃「ベルサイユの薔薇」が流行っていて アキコがどうしても一緒に観たいと言って チケットを取ってくれて、冬休みに二人で宝塚劇場へ観にいった。 そして一緒に食事して家に泊まってくれた。 その時のアキ子は本当に楽しそうだった。 ムラタ君と付き合うようになってから アキコはムラタ君との時間を大事にしていて でもそれは仕方のないことだと思っていたけれど 最後にこうしてアキコが私との友情を思ってくれたのが とても嬉しかった。 アキコが引っ越す直前の日曜日に二人は最後に会っていた。 そして二人で家に挨拶に来てくれた。 その時二人はもうどこかでふっ切れていたのか、笑顔で楽しそうだった。 アキコが横浜に越してから長い手紙が届いた。 そこには「結局二人はお別れしました」と書いてあった。 新しい人生をお互いが生きる決意のようなことが書かれてあった。 それを読んで、大人だと感じた。 二人の思い出は消えない。 二人が一緒にいることがもう不可能ならば これからをお互いが精一杯生きて その先にもしまた出会うことがあればそれでいいし もし出会わなかったとしても それは仕方がないことだと書いてあった。 苦難を乗り越えての二人の人間としての成長と大きさが見えた。 アキコがいなくなってからもムラタ君はいつもと変わらなかった。 心の内がどんなだったのかはわからないけれど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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