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2005.12.10
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テーマ:独り言(100)
カテゴリ:独り言
肉眼で見られない世界、微小な世界では、粒子などを正確に測定する事ができない。
位置を測定する為には短い光が必要で、それはエネルギーが大きいので観測対象に大きな影響を与えてしまい、運動量が正確に測れなくなり
運動量を正確に測ろうとすると、今度は位置が正確ではなくなる。
両方を正確に測ることは不可能とされている。

物質も小さくなると扱いにくくなる。
人の心も同じだと思う。
正確に測ることは出来ない。
物質量の最小単位といわれている量子みたいにその時々で姿を変えたり、消えたりする。

信じられるものは証明できるものだけで、形のないもの、はかれないものは軽く扱われる。
目に見えるものだけを信じる。

この世の全ての形ある物は、その曖昧な量子やクオークというものの集合体に過ぎない。
不確かなのだ。

そんな中で何を一番信じるかと言えば、人の思いというものを信じている。思ったり思われたりしなければやってはいけない気がする。
衣食住と同等だと思っている。
衣食住以上と言いたいけれど、それは偽善になってしまう気がする。
食べ物がなくて困っている人には食べ物が必要なのだから。

曖昧な世界で曖昧な心で生きているけど、自分を取り巻く世界が変わっても、何が起こっても、変わらない心もある。
それは目には見えないし手に取ることもできない。
それを証明する事も出来ない。
それは信じてもらう以外には方法はない。
信じる心がなければ、何もないのと同じだ。
すぐそこに、手に取れるところにあっても、見ないで通りすぎてしまうことと同じだ。

科学も最後は宗教的になる。
不確かなものに対しては「そこにそれはあるはずだ」と信じる以外に方法がない。

最後は信じるという行為に人はいきつくのかもしれない。
つきつけめれば。
つきつめなければ、信じる必要もない。
合理的かもしれない。
どっちがいいなんて決められないけど。





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Last updated  2005.12.10 00:59:00
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