テーマ:ショートショート。(573)
カテゴリ:Short stores
それが夢の中なのか、それとも今起こっている現実の出来事なのか、その明るい日が差す、 長い廊下を歩いているわたしには、わからなかった。 夢の中のような気もするし、実際はっきりとした感覚を持って、 この場にいるという自覚もあったし。 なにがリアルで、なにがリアルでないのか、その区別と言うものが、 その時のわたしには出来なかった。 歩いても歩いても、先が見えない程、長い長い廊下だった。 その廊下の白い壁面と天井の所々には、明り取り用の、まるでパッチワークみたいな 正方形の小窓が、幾つも散りばめられていた。 そして一定の間隔に従って、木製の部屋のドアが連なっていた。 わたしがこの長い廊下を歩いている目的が、その特別なドアを目にした時、明確になった。 そのドアの中央には、独身で恋人もいないマリアに、キリストを身ごもった事を知らせる、 受胎告知のステンドグラスがはめ込まれていた。 いつもそんなマリアの受胎告知の絵を目にする度に、ちょっとそれには無理がある と思わずにいられない。 キリスト誕生にあたり、生臭い男と女の営みなんて、あってはならないことだったのだろうけど。 わたしはそのドアの前で立ち止り、そんなことを考えていた。 そしていつかずっと前に、このドアと同じドアの前に立ったことがある ということも思い出していた。 それはまだわたしが中学生の頃のことだった。 とても古びた洋館、手入れがまったくされていなくて、それは今にも 崩れてしまいそうなほどだった。 その洋館は、都電通りから1本逸れた道の、なだらかな坂の途中にあった。 鬱蒼とした木々に隠れるようにそれは建っていた。 倒れ掛かった柳の木が、その建物の前にせり出していた。 その長いしなやかな枝がいつも揺れていて、それは女が髪の毛を振り乱して、 何かを訴えているように見えた。 時折する、鳥の鳴き声が、まるで女の悲鳴のようにさえ聞こえた。 その洋館はチェーダー様式の教会を思わせる外観をしていた。 きちんと手入れが行き届いていたころはきっと、さぞ立派な建物だったことだろう。 一体いつからそれは見放されてしまったのだろうか。 建物としての体裁を保っていられる事が不思議なほど、それは疲弊していた。 雨風から一体、守るなにがあると言うのだろうか、この建物の中に。 放置されて、すべては古びて、使い物にはならないはずなのに。 誰が住んでいたのかさえ明確ではなく、長い間手入れをされることもなく、誰からも見捨てられ、 朽ち果てたこの洋館は、崩れてしまった方がかえって自然なくらいだというのに、それはまるでそ の建て物自らの意志で、立ち続けているようにさえ思えた。 わたしたちはその洋館を見たとおり、お化け屋敷と呼んでいた。 したがって昼間でも、その建物の前を通る事は憚れた。 まして暗くなった夜など論外だった。 それでも怖いもの見たさで、夏の夜には近くの雑司が谷墓地のラフカディオ・ハーンのお墓から スタートして、その洋館の前を通って、また墓地に戻って、夏目漱石のお墓の前がゴールという、 肝試しをするのが、その周辺で暮す子供達の夏の習慣になっていた。 けれど、成功したことはなかった。 あまりの怖さに、途中で悲鳴を上げて、友達と家に帰ってしまうのだった。 ある夏の日、その洋館の前を昼間通ったことがあった。 黒い雲がモクモクと何処からともなく流れてきて、あっという間に空を覆ってしまった。 昼間だと言うのに、薄暗くなってしまった。 そしてもう今すぐにでも、それは強い雨を降らせてしまいそうだった。 わたしは必死の決断で、その洋館の前を通った。 その洋館の前を通るということは、家に帰るためには最短距離だったからだ。 その時、地響きを伴うほどの大きな雷がどこか近くに落ちて、 一瞬あたり一面が真昼の様に明るくなって、その洋館の大きなドアに、 受胎告知のステンドグラスがはめ込まれてあるのが、柳の枝の隙間からしっかり見えた。 ステンドグラスはほこりと汚れにまみれていたけれど、その鮮やかな色彩を消し去る事までは 出来なかった。 その洋館には昔から宣教師が住んでいるという噂だったけれど、 誰もその姿を見たことが無かった。 わたしは夢とも現実ともつかない、この長い廊下を歩いて来たのは、このドアに出会う為だったの ではないかと思わずにいられなかった。 わたしはためらう事無く、ドアノブを回すと、その部屋に入って行った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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