2017/08/21(月)11:56
能力はそれぞれ
今日は、毎月一度の「〇〇の会」の例会の日。
不登校(登校拒否)や引きこもりの子どもを持つ親を中心にした、話し合いの会である。
今日も11人が集まってきて、それぞれの出入りはあったけれど、10時から3時半までずーっとあれやこれやとおしゃべり。
子どもの元気がなくなり、学校へ行かなくなって慌てない親は(例外はあるだろうが)、ほとんどいない。
なにしろ、ある年齢になったら学校へ行くということが、常識というか信念のようになっているのが日本人だし、全国で14万人近い小中学生が学校に行かなく(行けなく)なっていても、それが少数派であることに違いはない。
今日の話しの中で、夫婦のあり方についての話題が多かった。
日本では、子育ては母親の仕事という考えが、男女共に当たり前のことのようになっている。(そして男は仕事である)
だから、子どもが不登校になった時に、母親は自分が何とかしなければと必死になる。
しかし、母親一人で頑張れば頑張るほど母子間の葛藤が強くなり、葛藤が強くなりすぎると歯車もかみ合わなくなる。
いよいよ困った母親は、もう一人の親である夫に、やっとSOSのサインを出すのだが・・・。
ここで妻に真剣に向き合ってくれる夫は、残念なことにそれほど多くはないようだ。
さて、夫がキチンと向き合ってくれない時、妻はどうするか。
今日の話で、本当に様々な夫婦があるものだと思った。
ケンカしたり泣いたりわめいたりして、夫を否応なく巻き込んでしまうタイプ。
わかってくれない夫とのストレスの方が強くなって、自分の体調を崩す人。
夫との戦いは諦め、ひたすら自分が子どもとの良い関係を築くことで、家庭の平和を維持しようとする人。
夫が苦しむことを案じて、やはり自分が頑張ろうとする人。
夫婦それぞれの性格や能力によって、10の夫婦があれば10通りのパターンになるようだ。
どれが良い悪いではない。
それぞれが最善と思うことを必死に頑張っている。
少なくても、このような会に集まり、何かヒントを得たいと行動する人は、例外なく頑張りやさんばかりだ。
ある人は、夫の暴力などにも耐え続けた結果が、子どもに悪影響を与えたのだと医師に指摘され、
「私は夫と子どものためと思って頑張った年月は何だったのだろう」と慟哭した。
その悲しみや悔しさを思う時、誰もが言葉を失った。
子どもを傷つけようとしてがんばる親はいない。
結果から過去を責めることは、何の意味もない。
その人は、我慢できる力を持っていたのだ。
自分の痛みに耐えて、夫や子供のことを思う力があったのだ。
あり過ぎたからといって、どうして彼女を責められるだろう。
また、「自分が弱いから、夫や子どもに迷惑をかける」と涙する人がいた。
その人は、ストレスが身体に出やすい体質なのだ。
風邪をひきやすいからといって、
「あんたはどうしてそんなに風邪をひくのだ。もっと強くなれ」と言ったって、
強くなりたいと誰よりも思っているのは本人なのだ。
誰でも、自分の体験しない痛みに対しては、実に実に鈍感なもので、共感はできないかもしれない。
しかし、本人が「痛い、苦しい」と訴えたなら、「痛いのだな。苦しいのだな」という理解くらいはできるのではないか。
そして、痛くないようにするには、自分は何ができるのかを考えるくらいはできるのではないか。
「やればできる」という言葉は、他人に向かって言うものではない。
自分に向かって言う時に、はじめて効力を発することが多いからだ。
自分自身に問うてみて、「やってもできないだろう」と感じることよりも、「やったらできるかもしれないこと」にエネルギーを使いたい。
夫婦が苦しみも悩みも共有し、コミュニケーションを密にして、共に子どもの問題に取り組むのは確かに理想ではあるが、夫婦の個性によってそれが難しいことも多い。
無理して理想に向かうのではなく、少しでもストレスを軽減するために、お互いに何ならできるのかを探したい。
少なくても多くの妻は、それをしようとしている。
夫達には、せめて妻が痛い顔をしていたら、
「どうしたの?何か手伝うかい?」くらいは言ってあげて欲しい。
実際に手伝えなかったとしても、妻は夫が自分を気にかけていてくれると感じただけで、肩の荷物がとても軽くなるのだから。
ちなみに私達夫婦は、できるだけ争いを避けたい気質の持ち主同士。だから、夫婦喧嘩はしたことがない。
だからといって、お互いに葛藤がないわけではもちろんない。
しかし、ある意味で似たもの同士だから、お互いの葛藤や痛みや不満に、それなりに気づく。(気付くように、サインはだしているから)
そして、それぞれのストレスは、相手にぶつけずに他のことで解消しようとする。
落ち着いたなら、何もなかったようにテレビや新聞のニュースや、我が子の話題などでボソボソと会話してチャンチャン。
というわけで、私達はとても会話の少ない夫婦だけれど、何も言わずにシーンとしていてもホッとするというのが、夫婦ならではだと思っている
(他人とであれば、沈黙が怖くてしゃべり続ける私なのだが)