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テーマ:備忘録(128)
カテゴリ:備忘録
4月18日(日)
夫の姪の家に、息子たちのワインを届けがてら久しぶりに話をしてくる。 それぞれの家には、それぞれの事情も悩みもある。 兄弟姉妹だからこその気づかいや、そのすれ違いも多いこともよくある。 また、嫁姑関係もそれなりにあるものだ。 私は昔から、親戚同士や姉妹関係、夫婦も親子関係ももちろん嫁姑関係も、 基本は他人同士なのだから適当な距離は必要だと考えていた。 見方によれば「冷淡」に見えるだろうし、実際にそう言われたことも自分でもそう思うこともあった。 「私は元来、冷たい人間なのかもしれない」とずっと思っていたし、今でもそう思うことはある。 それでも、そんな基本的な性格とスタンスは、人にあまり期待しないということにつながり、 これまでさほど深刻な人間関係でドロドロしたという記憶はない(忘れたのかもしれないが)。 とにかく、心の平安を守るためには、深入りしすぎず拒否もせず、 誰に対しても親切と思える言動が一番のように思う。 4月19日(月) 関わっている団体の会報の印刷と発送作業のために、市内のNPOが運営する「たまり場」のような場所に行く。 ここの会員になっていたら、印刷代が安いのだ。 私は印刷のためだけにこの場所を利用しているが、そこは今では中高年の常連さんによるたまり場である。 そこに行くと、いつでも知っている人が必ず数名はいるので、懐かしいこともあれば、 「ああー、会っちゃった」と感じる人もいる。 今回は、近況が気になる別のボランティア団体のメンバーと会えた。 彼女は、私より年上なのだが、現在放送中の「おちょやん」のような幼少期を育った人だ。 詳しいことはわからないが、子ども時代から苦労して、結婚してからも色々と心配事は続いていたらしい。 やっと落ち着いた高齢期に入ってから、子供達への絵本の読み聞かせグループに入り、 自分なりに色々と勉強したりしながら楽しそうに活動をしている人だ。 このまま穏やかな老後になればいいけどと願っていたが、人生はままならないものだ。 コロナのせいで生きがいの活動もできなくなり、それでも自分なりに頑張らねばと、 結構な距離をリハビリを兼ねて歩いてきたという。(年末に軽い脳梗塞になったという) どうして神様は、苦労する人にばかり苦労を背負わせるのだ。 そう思うと、平穏に暮らしている自分が申し訳ない気さえする。 いやいや、自分に悩みのない平穏無事な人間だからできることだってある。 そう思いながら帰路についた。 4月21日(水) 息子の畑の手伝い。この日は、次男と三人での作業。 4月22日(木) 札幌のTさんと友人の三人でランチをする予定だった。 Tさんはうつ病を患っていて、コロナになる前は月に一度はランチや映画などでおしゃべりをすることがここ何年かのサイクルだった。 しかし、コロナのせいでそれも出来なくなり、少し気がかりのこともあって彼女の調子が悪いと聞いていたので、この日に共通の友人の家で会うことにしていたのだ。 ところが、その友人が急に体調が悪くなり、結局Tさん夫婦と近くのレストランでランチとおしゃべり。 それでも、顔を見て話せたことで、私も少し安心したし、彼女も楽しそうだった。 具合の悪くなった友人は、腎臓結石だったそうだ。 彼女も石持ち体質だったか。 4月23日(金) 息子の畑の手伝い。 この日は、長男と次男だけではなく、ボランティアの人や研修生も来てくれて、畑の杭や隅柱の補修作業。 私は前回同様、剪定した枝の誘引作業を黙々と続ける。 今週は、人の悩みや心配事を聞く機会が多かったので、作業をしながら自分の状況が本当にありがたいのだと痛感していた。 息子たちが元気に働く様子を同じ場所で見れること、その息子たちを応援してくれる人が何人もいることを実感できること。 そして私たち夫婦も、このように農作業が出来る体力があって元気なこと。 遠くの山にはまだ残雪が白く輝いているが、周囲の殺風景な山々の木々も、 新芽で少しずつ若草色になりかけているし、 そんな木々の間に白いぼんぼりの灯りのようなコブシが見える。 今年もまだ働けそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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