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成人式と着物


子どもに不正をそそのかし、見逃す大人たち


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教師の体罰ニュースで思い出したこと・・


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体罰事件で思い出したこと


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本 「カンボジア 運命の門」


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本 「大地」パール・バック


本「揺れる子どもの心と発達」高垣忠一郎著


「奪還 」 蓮池透著


「逆さメガネ」養老孟司著、PHP新書


「死ぬにはいい日」


「"It"と呼ばれた子」


「あの世 この世」


「二人目の母親になっている日本の男たち」


パティニョールおじさん (レンタルビデオ)


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映画「愛を読む人」


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パソコン、HP、ブログ

2019年06月09日
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このところ、息子の畑の手伝いや自宅の庭仕事などに追われ、その間に管理している某団体のHPの作業などでこちらのブログまで手が回らない状況です。
でも、そのような感じで忙しくしております。
更新していないにも関わらず見に来てくださる人がいらっしゃるのは、ありがたい限りです。
書きたいことや気になることなどは沢山あるのですが、書かないうちに多分忘れてしまうのでしょうね。
とりあえず近況報告です。






最終更新日  2019年06月09日 09時22分02秒
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2019年03月29日
今、パソコンでブログ管理画面を見てビックリびっくり
昨日のアクセス数がビョーンと飛び上がっている。
昨日はブログを書いていないのになぜ?
いったい、どなたが読んで下さったのでしょうか。
まったく想像もできませんが、お読みいただきありがとうございました。







最終更新日  2019年03月29日 08時48分38秒
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2019年01月16日
今、パソコンを開いたら、1,000,251アクセスになってました。
1,000,000番目に来てくださったのは、どなたかしら。
今日は開設から5691日目で、日記記入率は43.2%。

我ながら良く続いているなあ。
これからもマイペースで気が向くままに書いていこうと思います。






最終更新日  2019年01月16日 10時34分09秒
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2018年07月09日
テーマ:死刑(6)
久しぶりに内田氏のブログを覗くと、「死刑について」があった。
さっと流し読みしたら、私の問題意識とつながるものがあるようだ。
全文をコピーしておこう。


「死刑について」  2018.07.08

オウム真理教の死刑囚たち7人が死刑執行された。
解説記事を読むと、改元や五輪の日程に合わせて「このタイミングしかない」ということで執行されたと書いてあった。
死刑については、いくつものレベルの問題があり、軽々に適否を論じることはできない。
「国家が人を殺す死刑という制度そのものの存否」にかかわる原理的な問いがあり、「死刑は犯罪の予防に有効なのか」という統計的な問いがあり、「被害者遺族の怒りや悲しみはどうすれば癒されるのか」という感情の問題があり、それらが入り組んでいる。
死刑の存否について、「どちらか」に与して、断定的に語る人を私はどうしても信用することができない。

死刑は人類の歴史が始まってからずっと人間に取り憑いている「難問」だからである。
世の中には、答えを出して「一件落着」するよりも、「これは答えることの難しい問いである」とアンダーラインを引いて、ペンディングにしておくことの方が人間社会にとって益することの多いことがある。
同意してくれる人が少ないが、「答えを求めていつまでも居心地の悪い思いをしている」方が、「答えを得てすっきりする」よりも、知性的にも、感情的にも生産的であるような問いが存在するのである。
そういう問いは「喉に刺さった小骨」のように、刺さったままにしておく。そうしているうちに、いつのまにか「小骨」は溶けて、喉を含む身体そのものの滋養となる(ことがある)。
あらゆる制度は人間が共同的に生きることを支援するために存在する。私はそう考えている。それ以外の説明を思いつかない。
もちろん司法制度もそうである。
その制度をどう運用すれば、人間たちが共同的に生き延びてゆくために有効か。
それを思量するためには、ことの理非をためらいなく、截然と決するタイプの知性よりもむしろ理非の決断に思い迷う、「計量的な知性」、「ためらう知性」が必要である。

「計量的知性」ということばを私が知ったのはアルベール・カミュの書き物からである。
どうふるまうべきか決定し難い難問を前にしたときは、そのつど、ゼロから根源的に吟味する知的な態度のことを指してカミュはこのことばを選んだ。
「この種のことについては、これまでずっとこう対応してきたから、今回もそれを適用する。細部の異同については考慮しない」という原理主義的な態度に対抗するものとして、このことばを選んだのだ。
原則に揺るぎがないのは、経験的には「善いこと」である。そうでなければ日常生活は営めない。あらゆる問題について、いちいち細部の異同を言い立てて、そのつど判断を変える人とはいっしょに仕事をすることはできない。「予測」ができないからである。
人間は「あの人はこれまでこういう時にはこうしてきたから、今度もこうするだろう」という他者からの「期待の地平」の中で行動するものである。そうしないと共同作業はできない。とりあえず私は社会生活上、できるだけ「期待の地平」の内側で行動するようにしている。

けれども、死刑はふだん私たちがしている「仕事」とは水準の違うことである。もっと「重たい」ことである。だから、人を死刑にすべきかどうかの判断には、人間関係のもつれやビジネス上のトラブルを解決する時のような効率や速度を求めるべきではない。
カミュにとって、死刑は久しく「死刑に処せられる側」から見た制度であった。
アルジェリアの経験豊かな法廷記者であった時代、カミュは「死刑宣告を受ける側」の立場から死刑という制度を観察してきた。
『異邦人』はその時の実体験を踏まえた「死刑小説」である(実際の事件に取材している)。
人は「こんなことをしたら死刑になるかもしれない」という予測をしながらも罪を犯すことがある、なぜそんなことをするのか。裁判官は殺人者をあるときは死刑に処し、あるときは有期刑で済ませるが、その量刑の根拠は何なのか。死刑を宣告された人間はそれにどう対応すべきなのか、不当だと告発すべきなのか、「それが正義だ」と受け入れるべきなのか。
無数の問いが『異邦人』を構成している。

『異邦人』をガリマール書店から刊行したとき、カミュ自身はレジスタンスの地下活動にコミットしていた。それはゲシュタポに逮捕されれば高い確率で死刑に処せられる活動だった。
法廷記者としては「捕まって死刑にされる人たち」の横から死刑を考察していたカミュは、このとき「捕まれば死刑にされる人」として、それと同時に「ドイツ兵を殺すことを本務の一部とするレジスタンスの活動家」として死刑とテロルについて考察していた。
その時、カミュが定式化した原則は「自分が殺されることを覚悟している人間は人を殺すことができる」というものだった。
レジスタンスのテロ活動はドイツ兵たちを殺していた。
政治的理由でそれを合理化することはできる。けれども、レジスタンスの闘士たちは軍服を着てそうしていたわけではない。私服で、市民生活のかたわらにサボタージュを行い、ドイツ兵を殺していたのである。
その行動を合理化するためには、政治的理由のほかに、個人的な、倫理的な理由づけがどうしても必要だった。
それが「殺される覚悟があれば、殺すことができる」という「トレードオフの倫理」「相称性の倫理」だったのである。
いわばこういうことだ。
私は自分の命をあらかじめ公的な境位に「供託」しておく。「あなた」が私を捕らえたら、「あなた」には私の命を奪う倫理的権利がある。それを認めた上で、私はあなたを殺す倫理的権利を手元にとどめておく。
そういうロジックである。
その「相称性の倫理」をカミュはレジスタンスの活動の中で書き綴った『ドイツの一友人への手紙』を通じて基礎づけようとしていた。
その時点でカミュはいくぶんか「すっきり」していた。

しかし、「解放後」はそうはゆかなくなった。
レジスタンスの勝利のあと、今度は「対独協力者」たちの処刑が始まったからである。
カミュは最初は彼らの死刑に賛成した。まさに彼らとの戦いの中で多くの仲間が殺されたのである。死者たちの無念を思えば、「私には彼らを赦す権利がない」とカミュが書くのも当然である。
しかし、対独協力派の旗頭であったロベール・ブラジャッックの死刑について助命嘆願を求められたカミュは寝苦しい一夜を過ごしたあと、嘆願書に署名することになる。
その理由についてカミュが書いていることはわかりやすい話ではない。
それはおそらくカミュがその「寝苦しい一夜」の間に「死刑を待つブラジャックの側」に立って、想像力を用いてしまったからだろうと私は思う。
かつて法廷記者として死刑囚の思いを想像した時のように、レジスタンスの活動家として自分自身の銃殺の場面を想像した時のように、このときは「殺されるブラジャック」の思いを想像してしまったのである。
ナチス占領下のパリでは、ブラジャックはカミュたちを捕え、殺す側にいた。「解放後」のパリではカミュには「ブラジャックに殺される」可能性はゼロである。
相称性の倫理はここでは働かない。
カミュは「私は原理的な非暴力主義者ではない」と書いている。
「ある場合には暴力は必要だし、私は必要な場合に暴力をふるうことをためらわない。」
しかし、カミュはブラジャックの助命嘆願書に署名した。
権利上ブラジャックがカミュを殺すことが「できる」なら、カミュはそれに暴力をもって立ち向かうことを辞さない。けれども、無抵抗の「罪人」を殺すことには「ためらい」がある。
カミュはその「ためらい」を最後の足がかりにして、死刑に反対したのである。
論理的な根拠があったわけではない。「そういう気分にならない」から反対したのである。
私はこのカミュの判断を「人間的」なものだと思う。
私たちは生きている限り、さまざまな非道や邪悪さに出会う。時には信じられないほどの残酷さや無慈悲に出会う。それに相応の処罰が与えられるべきだと思うのは人性の自然である。
けれども、その非道なものたちが捕えられ、死刑を宣告された時には、そこに一抹の「ためらい」はあって然るべきだろうと思う。
人が正義を求めるのは、正義が行われた方が「人間社会が住み良いものになる」と信じるからである。
ことの適否の判断はつねに「それによって人間社会がより住みやすいものになるかどうか」によってなされるべきだと私は思っている。
オウム真理教の死刑囚たちは非道で邪悪な行いをした。そのことに議論の余地はない。
けれども、彼らの死刑執行にはつよい違和感を覚える。「それで、ほんとうによかったのか」という黒々とした疑念を拭うことができない。
「制度がある限り、ルールに沿って制度は粛々と運用されるべき」だという形式的な議論に私は説得されない。それは「そもそもどうしてこの制度があるのか」という根源的な問いのために知的リソースを割く気のない人間の言い訳に過ぎないからだ。
そんな言い訳からは何一つ「よきもの」は生まれない。

世の中には効率よりも原則よりも、ずっと大切なものがある。
死刑の存否についても、今回の死刑の妥当性についても、国民的な合意はない。
けれども、国民的合意を求める努力は必要だ。
努力すれば国民的合意がいつか形成されると期待するほど私はナイーブな人間ではない。
そうではなくて、「国民的合意がなくては済まされない」という切実な願いだけが、国民国家という冷たい制度に、政治的擬制に「人間的な手触り」を吹き込むからだ。
そこでしか人間は生きられない。そこからしか人間的なものは生まれない。



死刑執行の前夜、上川法務大臣や安倍首相は若手議員と楽しく会食をしていたという。
自分が次の日に7人の人間を処刑する前の日に…。
それを知った時に私は、彼らがどのような神経をしているのかと信じられない思いであった。
当然、安倍首相だって次の日に死刑執行するということは知っていただろう。
この内田氏の文章を読みながら、私はそのことを思い出していた。
テレビのワイドショーでの伝え方も同様である。
私は、「人の命は地球より重い」とか「誰の命も平等に尊い」など、心から思える気持ちにはなれないことが多い。
それでも、一人の命の消滅は一人の人生の終わりである。
ルール(法律)で決まっているとはいえ、別の人がその命を奪う(殺す)となれば、それは間違いなく殺人である。
現行の日本の法律ではやむをえない死刑執行とは思っているが、パソコンゲームでキャラクターを消滅させるのとはわけが違う。

いずれにせよ、今の政権には死刑の国民的合意を得ようという意志はなさそうだ。
そして、どこか人として大切なものを失ってしまった「人非人」に近いのではと感じてしまう。






最終更新日  2018年07月09日 14時23分30秒
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2018年06月19日
テーマ:楽天ブログ(7)
気軽な気持ちでこのブログを始めてから、今日で15年となった。
本当に早いものだと、自分でも驚いてしまう。
書いた文章は2597件となっている。
もちろんこの中には簡単な備忘録もあるのだが、
三日坊主傾向の強い私がこれほど続いているということは、私は書くことが好きなようだ。
トータルのアクセス数は891937人。
日記記入率は43%。(これも我ながらすごい)

今後の目標は特にないけれど、今まで通りボケ防止と、物忘れ対策として
マイペースに続けようかと思っている。

時々、10年前の今頃はどうしていたかと見てみると、完全に忘れていることも結構ある。
自分自身のことでもそうなのだから、ニュースなどについては言わずもがなである。
その時、その時で強い関心を抱いたり、怒ったり感動していたはずなのに、
人間(いや私だけ)って本当に忘れっぽい生き物だと思う。

今、ブログを開設した年の6月の記事を見たら、
2003年06月25日 の「50代を味わおう」という記事があった。
その中に梅原猛氏のことに触れ
彼は日本の基層文化は「縄文時代」にあって、その縄文人(つまり、原日本人)の思想や宗教観を継承してきたのが「アイヌ人」であり「琉球人」という考え方をしています。
と書いている。
実は二日ほど前に、友人とのメールでこのことについて書いていたのだが、つまりは15年以上も前に聞いたってことだ。
そんなに経っているのだけれど、この話はとても印象深かったのか、今でも講演会の様子を思い出すことが出来る。
本当に記憶って不思議である。
あの時の梅原猛さんは78歳。

とても意欲的で、まだまだやることがあるというような話をされていた。
私はその年までまだ10年もあるぞ。ブログくらい続けられないことはないかな。
現在は93歳だ。お元気なのだろうか。






最終更新日  2018年06月19日 09時54分12秒
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2018年05月09日
ゴールデンウィークもすでに終わった。
連休前から、息子の農作業の手伝いや妹一家の久しぶりの帰省と
1歳半の姪の子どもとの初めてのご対面など、色々と慌ただしい日々が続いた。
それでも、隙間時間にブログ更新くらいはできるのだけど、
しばらく書かないと怠け癖がついてしまったようだ。
ニュースでは気になることが次々起きるのだが、それについて書こうとするなら時間が足りない。
我が家の構造上の事情で夜にはこのパソコンが使いにくいので、
結局「今日も書けなかったな…」が続いている。
いつの間にか桜やエゾムラサキツツジも散り、今は梅が花盛り。
もう少しでボケも咲きそうなのだが、このところの寒さでつぼみも停滞中。
そんな中でも、雑草と言われる草たちは元気で勢いを増している。
そろそろ花壇の苗植えもしたいのだが、この寒さが通り過ぎないと心配だ。
毎年、「そろそろ大丈夫だろう」と花を植えて、
寒さでこじれてしまうことを繰り返しているので、
今年は失敗したくない。
これからもしばらくは外仕事の日々が続きそうなので、
「ブログ更新停滞中」も続くかもしれない。






最終更新日  2018年05月09日 08時14分05秒
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2018年01月03日
2018年となりました。
やはり「あけまして おめでとうございます」と言うべきなのでしょうね。
なんだか不穏なニュースが続いた昨年のような気がしますが、
今年は少しは明るい兆しを感じられる年であってほしいものです。

世界や日本がどのような状況であろうと、
個人としては幸せを感じることのできる感性を大切にしたいものです。
今年がみなさまにとって、
幸せや感謝を感じることができる日々でありますように。

今年もブログを書くことで、記憶力や思考力低下にブレーキをかけながら、
マイペースに過ごしていきたいと思います。
このブログを覗きに来てくださる皆様がいるから、励みになっていることは間違いありません。
本当にありがとうございます。
そして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。






最終更新日  2018年01月03日 10時31分36秒
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2017年12月31日
テーマ:年末のご挨拶(9)
2003/06/19に開設してから、今日で5309日のようです。
書いたブログは2498件となっているようです。
我ながら本当によく続いたし、よく書いてきたなと思います。
今では、その時々のニュースや我が家や私の出来事の「備忘録」がわりです。
自分でノートに書く日記とは違い、誰かの目に留まることを意識しますし、
読んでくださる人の存在が励みになって続いているのだろうと思います。
来年もまたこのペースで続けるつもりですが、突然更新がストップしたりしても気になさらないでくださいね。

こちらに来てくださった見知らぬ人たちや少数のお知り合いにとって、
来年が良い年でありますように。






最終更新日  2017年12月31日 09時16分31秒
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2017年11月04日
結局、すべて「総理のご意向」どおりに! 加計学園獣医学部が認可の見通し、疑惑は何ひとつ晴れていないのに
2017.11.02

 選挙が終わるや否や、これである。本日、文科省の大学設置審議会が判断を保留してきた加計学園の獣医学部新設について課題に改善が見られると評価し、10日の答申において来年4月開学で認可される見通しだといっせいに報道されたのだ。
 しかし、驚きはまったくない。認可が下りることは最初から既定路線だったからだ。あらためて、疑惑の発端となった内部文書と、昨年10月21日に当時の官房副長官である萩生田光一氏が文科省の常盤豊高等教育局長に伝えた内容がまとめられた文面を確認したい。
「平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい」
「(設置の時期は)これは総理のご意向だと聞いている」
「総理は『平成30(2018)年4月開学』とおしりを切っていた。工期は24ヶ月でやる。今年(2016年)11月には方針を決めたいとのことだった」
 これらの内部文書が作成されたのは、加計学園が今年3月に文科省に開学を申請する以前のことであり、設置審が検討に入るずっと前から2018年開学は決定していたことを示している。
 つまり、この期に及んでも、すべては「総理のご意向」通りに、「加計ありき」で進んでいるのである。今回の選挙にしても、選挙後に答申発表となるように日程が組まれたことは想像に難くない。
 しかし、安倍首相に向けられている疑惑は、いまだ何ひとつ晴れてはいないのだ。

安倍首相「プロセスに一点の曇りもない」は大嘘、議事録は改竄されていた


 まず、今治市と愛媛県が国家戦略特区に獣医学部新設を提案する2カ月も前に今治市の職員と加計学園の事務局長が官邸で安倍首相に近い柳瀬唯夫首相秘書官(当時)と対面していた事実を皮切りに、文科省の事務次官だった前川喜平氏に対して和泉洋人首相補佐官が獣医学部新設の対応を急ぐことを要請した際に「総理が自分の口から言えないから私が代わって言う」と述べたことや、やはり前川氏に内閣官房参与で加計学園理事の木曽功氏が「早く進めてほしい」と“圧力”をかけていたことなど、安倍首相の意向のもと、官邸が獣医学部新設に向けて積極的に関与してきたことは明々白々だ。
 だが、これらの疑惑に対して、安倍首相は「岩盤規制にドリルで穴を開けた」という、何も説明になっていない台詞を繰り返すばかり。逆に、加戸守行・前愛媛県知事や国家戦略特区ワーキンググループ座長の八田達夫氏の証言が報道されていなかったとメディア批判に矛先を向け、「国会審議をすべて見た人は納得した人も多かったのではないか」などと宣っている。
 しかし、本サイトでは何度も指摘してきたが、いま問題となっているのは「国家戦略特区において獣医学部新設が加計学園に選ばれた、その決定にかかるプロセスの不透明さ」であって、現役官僚だった前川氏とは違って加戸氏はそうしたプロセスにまったくタッチしていない。いくら加戸前知事が「歪められてきた行政が正された」と主張しても、そもそも加戸氏は「行政が歪められたのか否か」など知る由もない立場なのだ。
 その上、安倍首相や八田氏は、議事録はオープンになっていると強調し「プロセスに一点の曇りもない」と断言してきたが、これもすでに大嘘だったことが発覚。2016年6月に国家戦略特区ワーキンググループが愛媛県と今治市からヒアリングをおこなった際には加計学園の幹部3名が同席していたにもかかわらず公開されている議事要旨にそのことが伏せられており、発言内容を一部削除することで発言主旨を真逆に書き換えるという議事録の改竄までおこなわれていたことまで判明しているのだ。

国会開催要求無視、突然の解散、野党の質問時間削減…追及から逃げまくる安倍首相

 しかも問題は、このように雪だるま式に膨らんでいく「加計ありき」への疑惑だけではない。加計学園の獣医学部が新設される今治市のキャンパスについては、病原体を封じ込めることができないのではないかという疑問が噴出し、高病原性鳥インフルエンザの検査や実験・研究をおこなうのは難しいという見方も出ている。さらに、加計学園が高額な補助金を得るために建設費を水増ししているのではないかという疑惑までもち上がっているのである。
 こうしたさまざまな角度から不正の疑いがありながら、安倍首相は野党からの臨時国会招集要求を3カ月も無視し続け、ようやく国会を開いたと思ったら冒頭解散するという解散権の濫用によって追及から逃亡。挙げ句、「丁寧に説明する」と言いながら昨日からはじまった特別国会では当初、質疑に応じない姿勢まで見せた。この態度が反感を買ったことで、結局、国会を12月9日まで開くことにしたが、実際は安倍首相にはトランプ大統領の来日や外遊日程が詰め込まれており、所信表明演説は今月17日。実質審議はたったの1週間程度しかないのではという見方も広まっている。
 そして、安倍首相はついには、議院内閣制を完全に無視して野党の質問時間を削減するとまで言い出した。この暴挙もまた、森友・加計学園の追及を受けたくないという理由であることは明らかだ。
 だが、繰り返すが、これだけの大問題になりながらも、2018年4月開学という「総理のご意向」は、今回の設置審判断によって完遂されたのである。国民からあがる疑問の声には耳も傾けず、いまなお、安倍首相はお友だちしか見ていないのだ。
 森友・加計問題がこのまま有耶無耶になれば、安倍首相による政治の私物化を許したことになる。これは異常なことだという民意をいまこそ叩きつけなければならないだろう。


これからどうなるのかは確定はしていないが、多分認可はされるのだろう。
あれだけ工事が進んでいて、多分開学の準備も進めているのだろうから、認可してもしなくても大変な事態だとは理解できる。
本当に必要な大学であるのならそれでもやむをえないとは思うが、一番心配なのはこの大学に入学する学生のことだ。
私が親なら、このような大学に高額の学費を出して入学させようとは思わない。
「あの加計学園の獣医学部」と言われることが、わが子の将来にとってどうだろうと思うだろう。
それでも入学したい、あるいはそこしか入学できないとなれば、
何のために農獣医学部に進学したいのかとことん話し合い、
「行きたいなら、自分の力で行きなさい」と言うだろう。

私の孫たちも大学と高校の進学を控える受験生だ。
自分がなぜ大学に高校に進学したいのか、よく考えて受験先を考えなさいと時々おしゃべりがてら話しているところである。






最終更新日  2017年11月04日 08時25分47秒
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2017年08月21日
テーマ:パソコン(524)
パソコンが古くなり、さらにサポート期間も過ぎてインターネットにつなぐと危ないと言われながら、変えることの面倒さを思いそのままにしていた。
しかし、いよいよネット上で使えないことが増えてしまい、思い切って知り合いのつてで買い替えたのだ。
個人でパソコン修理等をしている人だったので、私の使っている内容などを聞き取り、今までのデーターや使っているソフトを使えるようにしてくれた。
昨日その作業が終わり、今日は新しい状態で使い始めた。

いやー、本当に快調快調大笑い

とにかく速度が速くてサックサク❕
それと、いままでできなかったこのブログのフリーページ編集ができるようになった。
ということで、今までのブログ記事の中から、フリーページにいくつか載せてみた。

実は一番困ってしまったのが、所属する団体のホームページ管理ができなくなっていたこと。
これからその作業にかかります。






最終更新日  2017年08月21日 09時55分22秒
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