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西洋陶器を求めて - 内外の洋食器 -

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2007.01.28
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テーマ:戦争反対(1187)
カテゴリ:***** 伝記 *****
前田美千雄さんは東京美術学校卒業後、軍隊に召集。
昭和17年に日中戦線から戻り絹子さんと結婚しますが、わずか1年後に再召集されます。
配属は凄惨な戦いの続くフィリピン。

「たぶん戦死されていると思うから、そちらが希望するなら戦死の公報を出します。」
陸軍からのこの回答を残して、美千雄さんは戻ってきませんでした。

絹代さんの手元には、美千雄さんが戦場で絹代さん宛に描き続けた728枚の絵手紙が残されます。
絹代さんは本土の空襲警報時でも、この絵手紙だけは守り続けました。

前にも私は書きました。
戦争は戦いの残虐さだけでなく、戦争に合意していない国民までも巻き込んでしまうから、悪なのだと。
絹代さんと一緒にいたかった、絵を描きたかった美千雄さんの無念が偲ばれます。

最期の1年は、1枚も日本に届かなかった絵手紙。
美千雄さんの戦死は、推定で昭和20年8月5日。
終戦には、まだ10日もの長い時間が残されていました。

絹代は語ります。
「もし戦争がなかったら、一緒に美しいものを眺めて、
 同じ思いを分かち合えたのに。
 毎日の些細な出来事も伝えたいから、
 私は返事を書くために、一心にペンを走らせました。」







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Last updated  2007.03.03 02:01:37
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