西洋陶器を求めて - 内外の洋食器 -

2023/08/16(水)12:45

橋まで作りました

浅野祥雲(39)

誰もが驚きました。 まさか彼らに逆らう者がいようとは。 彼らは近隣を荒らしていた荒武士達。 彼らに抗議する命知らずは誰でしょうか。 その命知らずは、なんと12歳の少年。 奉公先を逃げ出し、橋の上で寝ていた日吉丸(豊臣秀吉)でした。 日吉丸は一行が彼の頭を蹴ったから、詫びろと行っています。 日吉丸は一行の頭の刀の鞘をつかんで離しません。 血気盛んな荒武士達は、すでに臨戦態勢です。 行く手も阻まれ、日吉丸に逃げ場所はありません。 静かに成り行きを見守る者たちもいます。 一行の後方の者たちは、まだ何が起きたかよくわかっていません。 実は一行の頭は、蜂須賀小六でした。 小六は荒ぶる一行を諭します。 この件で、蜂須賀小六は日吉丸の度胸に感心しました。 そのうえで小六は日吉丸を家来にします。 これが後の豊臣秀吉の出世のきっかけとなりました。 これは「日吉丸 矢作橋 出世の緒」。 愛知県の五色園で、浅野祥雲の最高の力作と私は思います。 なにしろ矢作橋まで作っているのですから。 しかし、五色園という宗教公園に無関係な秀吉の話。 しかも秀吉の時代には矢作橋はできておらず、後の作り話とされる逸話。 想いの読めない祥雲さんの熱意に戸惑いつつ、私も唐突にピクチャー撮影中心でのご紹介でした。 【日記1】 「魅力的なコンクリート像 ― 五色園 ―」 【日記2】 「夏は厄介です ― 五色園2 ―」 【日記3】 「踏みつけては駄目です ― 五色園3 ―」 【日記4】 「迷う道で救いの手が ― 五色園4 ―」 【日記5】 「名古屋の心霊スポット ― 五色園5 ―」  【日記6】 「森に埋もれて ― 五色園6 ―」 【日記7】 「なにに驚いているの? ― 五色園7 ―」 【爪切り 秀吉モデル】 にほんブログ村

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