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テーマ:日本の伝統と文化(238)
カテゴリ:***** 文化 *****
門松という名なのに、竹が中央で目立っている。
そんな門松に、疑問をお持ちではありませんか? その理由には、戦国武将の確執があったとする説があります。 戦国武将とは、徳川家康と武田信玄。 1573年の三方ケ原の戦い。 この戦で徳川家康軍は、武田信玄軍に大敗しました。 戦後に、信玄から家康に、次の句が届きました。 「まつかれて たけたぐひなき あしたかな」 (松枯れて 竹類いなき 明日かな) つまり、「松平家(徳川家)は滅び、武田家が栄える明日が来る」という意味。 それに対して、家康側は次の句を返しました。 この句は、信玄側からの句に、濁点の位置を変えた句です。 「まつかれで たけだくびなき あしたかな」 (松枯れで 武田首なき 明日かな) つまり、「松平家(徳川家)は滅びずに栄え、武田の首がなくなる明日が来る」という意味。 そして門松として、竹(武田軍)を松(松平,徳川軍)が取り囲むように配置しました。 さらに竹(武田)を斜めに切り、竹(武田)の首を落としたと言います。 だから門松は、中央に斜めに切られた竹、周囲に多くの松があるということです。 さて、武田信玄ゆかりの地、甲斐の国・山梨でも、この門松を飾るか否か。 それは、私は知りません。 ![]() (写真はかなり以前の奈良県 鹿嶋神社) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ※ 竹つながりで 【 猫入りの竹(猫は付属していません) / なつかし屋 】 ![]() ![]() ![]() にほんブログ村
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