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2021/06/05(土)19:48

関ケ原合戦 直前の暗殺

***** 歴史 *****(171)

にほんブログ村 この墓は、美濃国加賀野井城主 加賀野井弥八郎重茂の墓です。 関ケ原の合戦の直前、加賀野井は石田三成の命で、 徳川家康の暗殺に、関東に行きました。 しかし暗殺の機会なく、帰路、徳川方の浜松城主、堀尾吉晴に出会います。 加賀野井は、堀尾と愛知県知立市で酒宴。 その際に、加賀野井は同席していた 徳川方の刈谷城主 水野忠重を斬り殺しました。 きっかけは、些細な口論であったと言われます。 さらに、加賀野井は堀尾にも斬りかかりましたが、逆に切り殺されました。 その加賀野井の墓は、愛知県知立市の宝蔵寺にあります。 こちらは追腹塚(おいばらつか)。 暗殺された、水野忠重の付き人ふたりの墓です。 主君を守れなかった責任を負い、ふたりは切腹となりました。 ふたりの墓も、宝蔵寺にあります。 敵対する者同士が、同じ寺に墓があります。 ふたりはさぞや、無念なことでしょう。 さらに、後日談があります。 関ケ原の合戦後、加賀野井弥八郎重茂の子は、大垣城に籠城しました。 そして大垣城は落城。 加賀野井弥八郎重茂の子は、水野忠重の子の水野勝成に処刑されたと伝わります。 父の敵討ちということなのでしょう。 【 抹茶菓子 】       < ↓ ランキングクリックはこちらから  >   にほんブログ村

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