2021/06/05(土)19:48
関ケ原合戦 直前の暗殺
にほんブログ村
この墓は、美濃国加賀野井城主 加賀野井弥八郎重茂の墓です。
関ケ原の合戦の直前、加賀野井は石田三成の命で、
徳川家康の暗殺に、関東に行きました。
しかし暗殺の機会なく、帰路、徳川方の浜松城主、堀尾吉晴に出会います。
加賀野井は、堀尾と愛知県知立市で酒宴。
その際に、加賀野井は同席していた
徳川方の刈谷城主 水野忠重を斬り殺しました。
きっかけは、些細な口論であったと言われます。
さらに、加賀野井は堀尾にも斬りかかりましたが、逆に切り殺されました。
その加賀野井の墓は、愛知県知立市の宝蔵寺にあります。
こちらは追腹塚(おいばらつか)。
暗殺された、水野忠重の付き人ふたりの墓です。
主君を守れなかった責任を負い、ふたりは切腹となりました。
ふたりの墓も、宝蔵寺にあります。
敵対する者同士が、同じ寺に墓があります。
ふたりはさぞや、無念なことでしょう。
さらに、後日談があります。
関ケ原の合戦後、加賀野井弥八郎重茂の子は、大垣城に籠城しました。
そして大垣城は落城。
加賀野井弥八郎重茂の子は、水野忠重の子の水野勝成に処刑されたと伝わります。
父の敵討ちということなのでしょう。
【 抹茶菓子 】
< ↓ ランキングクリックはこちらから >
にほんブログ村