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カテゴリ:高見彰七
にほんブログ村 矢作川橋近傍の推定・高見観音、現地確認の最終回です。 今回は弘化2年の石碑についての確認です。 結論としては、やはりこの石碑は観音像の転倒防止に使われていました。 1)観音像が石碑と台座側に傾いて置かれている 次の写真を御覧ください。 ![]() 観音像は台座に支えられるとともに、石碑側に傾いています。 石碑が観音像の転倒防止に役立っているのがわかります。 2)石碑が前向きに傾いている 観音像手前の弘化2年の石碑は、大きく前傾しています。 観音像の支えとしての意図がうかがわれます。 ![]() 3)石碑,台座と観音像の間に詰め物がある 次の写真でおわかりでしょうか。 台座と観音像の間に瓦の破片が詰められています ![]() また石碑と観音像の間にも数個の石が詰められていました。 観音像を固定しようとする意図がみられます。 4)詰め物の瓦は小石は固定があまく、実際は機能していない 詰め物には隙間があり、固定されていません。 実際には観音像の固定には役立っておらず、 プロの業者の仕事ではありません。 最終的な観音像の設置は、地元の素人が行ったと推定できます。 以上から、弘化2年の石碑は、 観音像の転倒防止に使われていると確認できました。 また詰め物の緩さなどから、 最終的には地元住人が設置に関わったと思われます。 幾つもの項目が判明し、有意義な現地確認でした。 それにしてもこの場所は、意外に電車からは目立つ場所です。 私の現地確認中でも、往復5~6本の電車が鉄橋を通過しました。 さすが運行本数の多い名古屋鉄道本線です。 ![]() 電車の車窓から見ていた人からは、雨に濡れながら、 草むらに埋もれて、巻き尺を手にした不審者が見えたことでしょう。 【 防災対策: 非常食 】 ![]() < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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