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これは平松洋子さんがいろんなジャンルの著名な方々に
「食」についてのお考えや「食」に関しての生育暦やらを お聞きになっておられる対談本〔というより、平松さんは聞き手」なのですが とても興味深かったです。 たとえば大宮エリーさん お母様はまったく食に関してこだわりがなく お刺身など、パックのままどん!と並べる原風景だったそうなのだが であったからゆえなのかな、心がつかれたときに 友人に連れて行かれた猟師さんからふるまわれた 「潮汁」であれ?と思うまもなくつうっと涙が出た、というエピソードや また、著名な料亭の娘さんだった松井今朝子さんなどは 毎日「キューピー3分クッキング」でその日の献立をきめ きちんと毎日かい出しにいき、その日の夜、次の日の朝、昼まで その一度の調理でまかない 「まったくあきませんね!」ときっぱりおっしゃったり。 幼いころから〔当然〕食通のおかあさまに 味覚に関するだめだしをされ続けたせいなのかな、おっしゃってたり。 〔そんなもんが好きなんか、子ども舌やなあ、などといわれることが多かったそうです、子どもなのに・笑) 翻ってわたくし 20数年ぶりに夫と二人で食卓を囲んでおります。 これがなかなか充実しておるのです おそらく、「主婦であること」「献立を独断で決められること」を満喫できておるせいではないかと思っております。 今わたしは、毎日自分にきくことができる。 「わたしがわたしに、今日は何が食べたいか?」と。 長年自分より家族、とりわけ子どもたちに「今日は何を食べさせようか?」だったのだなあ、と 改めてそう思ったりしております。 食に関して主体は自分じゃなかったんですね、もう長い間。 子どもたちがいない今、当然ながらうちは「作り手であるわたくし優先」なので わたしは楽しく食材を選べ、楽しく調理もでき、おいしくいただいております (当たり前のことなのですが 「母親」というのは、ここでも負荷を掛けられておるのだなあ、と思った次第。) 息子も娘も今は自炊をしています。 息子は融通がきかないので〔ま、初心者ですから仕方がない) 一週間分の献立を脳内できめて それにしたがって食材を求めています 〔私を従えてあれこれ聞きながら購入してます、2週に一度くらい) 二人とも、長年なんとかふんばって毎晩夕食を拵えてきた母親の背中をみておったのか 息子のほうは、当初は喜んで外で食べ歩いていたようですが 当然お金が続かない、という事態になり ようやく自炊に踏み切ったようです・笑 先だって帰省した折には 「自分で作ったほうがおいしい」とまで言い放ちました。あれまあ。 じぶんをたいせつにする、ということが どういうことなのか、どうしたら「それ」ができるのか まったくわからない状態であるとするなら おなかがすいたら自分にちゃんと聞いてみる 「今わたしは何を食べたいか?」 そこからはじめるのも一つの手段だなあ、と思います。 わたしは活字中毒者なので あらゆるジャンルの本を読み漁るのですが 食に関するエッセイ、皆さんがおいしくいただいているあれこれなどを 「知る」ことで毎日献立を組み立てることができていたのだなあ、と思う。 いわしやさばはとにかく「鮮度」が命らしい、とかね あとは、私の「食」の楽しみを広げてくださった友人の存在。 いただいた自家製の野菜の味の濃さを教えてもらったり。 華やかな大都会でおいしくてお値打ちなお店をおしえてもらったり。 今日も楽しくご飯が食べたい。 できたらお値打ちにご飯が食べたい。 そう思えて幸せだなあ、と思うんです。 「食べる私」には30名の方が登場しますが 自分の「食の原点は母です」とおっしゃった方はひとりもおりませんでした。 影響は受けるけれども、それが全てではない。 子どもは自分の「あり方」を自分の人生の中でつかんでいくんだろうな、と思いました。 中には「これはひどい」と思ってしまった食に関するエピソードもあったのですが 「ひどい」と思うのは私の「感覚」であり 当人は「思い出」で「記憶」である、と語られていたのが印象的でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.01.25 10:49:48
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