064450 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

これでおしまい。いままでとこれから。

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

おとね4388

おとね4388

カレンダー

バックナンバー

2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2024.07

カテゴリ

日記/記事の投稿

コメント新着

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2018.09.07
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
親がなぜ子どもにあれこれ指図し、おしつけ
思い通りに動かないと手が出て口が出てしまうのかっていうと
それはやはり将来的に子どもが毎日楽しく過ごしてほしい、と思っているからなのではないのか。

(と、やはりわたしは信じたい)
(親が自分の価値観を押し付けているだけだとも思うけど)

(現にしつけのつもりだったと、必ず子を虐待する親はいうじゃないですか。
あれはきっと本当にそう思ってるんだろうと思う)

で、先日「ゲッペルスとわたし」をみてきました。
ナチスの宣伝相だったゲッペルスの秘書だった女性のほとんどモノローグで
構成されている映画です。

合間合間にプロバカンダ映像が流れる。
アメリカの、ドイツの、ソビエトの・・・

ドイツはきっとちゃんと整理をつけたいんだろうなと思うんです

なぜ、ナチスの蛮行を当時の国民は許したのか。
ポーランドでははげしい抵抗運動がうまれたのに
なぜドイツはヒトラーを、ゲッペルスのを熱狂的に支持したのか。

だから、当時、あちら側にいた女性の話をきく。
丁寧に、きく。そこに意見は入れないで。ジャッジもしないで。


女性は第一次大戦後、敗戦国だったドイツでうまれました。

「子どもはね、ものなどいえなかったのよ」
「口も利けない、意見などもってのほか」
「そうね、よく殴られたわ」
「でも、当時のドイツはそうだったのよ」
「そういうもんだ、とおもってたの」

優秀だったんでしょう、学校を卒業して
最初はユダヤ人(!)のボスの会社でタイプを手伝い。
その後、ナチス党本部でタイピストとして雇われ
(なので、あっさりナチスに入党したそうです。
党本部で働きたいなら入党しておいたほうが有利だよ?といわれ)
(きっとあんまり深くは考えなかったんでしょう)
その後ゲッペルスの私設秘書の一員としてナチス崩壊まで、働いていたそうです。


彼女は「わたしは命令に従っただけ」
「ユダヤ人に対する扱いなど何も知らなかったし聞いたこともなかった」

(タイピストなのに?きっと機密文書などもタイプしていただろうに?


本当によくわからない話でした。
真実は人の数だけあるので、彼女の言い分は確かに彼女にとっては真実、なのでしょう。

そして繰り返し繰り返し、彼女は言うのです

「今の人はいいわ。自分の意見がいえるもの」
「ちゃんと主張することもできるもの」
「私たちはね、やはり少しずるくなるの」
「ばれないように、うまくやらなきゃ、罰を受けたからね」


支配、と被支配の関係。

今問題になってる体操選手。
「私のためを思ってのことですから暴力とは思いません」との発言に驚いた。

暴力を受ける、ということは
殴られたりけられたりするということは
体も心も傷つけられることだと思うんです。
だけど、傷つけられた自分が、傷つけた相手と
何とか折り合いをつけるには

(折り合いをつけないと彼女は競技が続けられない、と思ってしまったのではないか)
(なんてったって、彼女はまだ子どもだったんでしょうから)

「相手は自分のことが大切だから、そういう形で教えてくれてる」と
受け止めるしかない。まして相手より弱い立場なら。
そうやって合理化して納得するしかない。

そういう場面もあると思うんです


だけど、その結果は?
その結果はどうなるんでしょう。


わたしはツイッターをやっているのですが
ここのところ
在るカウンセラーの
「(あなたの子どもは)殴られるために生まれてきた」という文章で
いろんなひとがびっくりしてました。
ええ、文字通りびっくり、でした。


わたしもびっくりした。

きっとそのカウンセラーのいいたいことは
「自分ファースト」でいいんだよ、ということなんだろうな、とおもいます。
全て、「必然なんだよ」と。
子どもはあなたを救うために(うろ覚え)あなたの下に生まれてきたんだよ、みたいな。


はははは、あほか、とおもいました。

子どもは親の道具じゃありません。
フェアじゃないです。
子どもは親の暴力に立ち向かうことなどできないんですから。

続きがあってそのカウンセラーさんは
「(子どもを殴ってしまうと悩んでる)お母さんに向けたお返事なんですから」

と、相変わらずの選民意識でまあまあ、おちついて、みたいなことを
続けて書いておられましたが。


じやあ、なぜ「公開」する?

その悩めるお母さんにだけこっそり、お返事すればよかったじゃないですか。


そちらに集われる方は、きっとお幸せでおられるんでしょう

だけど、「親のためになど生まれたわけじゃない!」と
強く思いながらも
無邪気で無神経な親の価値観から逃れられず自分がどうしたいかもまだ
見つけられない子どももきっとたくさんおられると思いますので

啓蒙すんな、とおもってます。


私なら「子どもを殴ってしまう自分」をみつめるとおもいます。
そっちのほうが、主体的だと思う。
子どもの存在に甘えんな、と静かに思いますね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2018.09.07 12:27:29
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X