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それは、当人がそんなふうに思えない時なら、空っぽで無責任な言葉掛けだとわたしはおもっているのですが。
だって、そういわれて、うれしいかといわれたら わたしはうれしくないし なにいってんの あなた、私の何を知ってるの とか思いそう。 自己承認は、自分ひとりでつかめる作業ではないと思います。 どうしたってやはり「成功体験」「やり遂げた体験」 「他者からの承認」などなどは必要なことだと思う。 さあ、じゃあ我々はどう控えていればいいか、という話になると やはり「任せて」「邪魔しない」につきるよなあ、と。 私の話ですが 苦節10数年、今年の私は、大きな事務作業をほぼほぼ、ノーミスで終えることができそうなんですっ! これはうれしい。ひとりよがりだけど 10数年もやってていまさらかよ、と思いつつ それでもうれしい。 ただかっこ悪いからここでしか言わない・笑 私は、自分の中の目標を、自分でこっそり、達成できたことがうれしい。 「私はわたしのまま」でもちろんいいんだけど それには、私のことを気にかけてくれる人がいて 小さな目標を実現できたことも「私は私のままでいいんだな」につながってる気がする。 自己肯定には「他者からの承認」が、先ずはあってのものなのかもしれないなあ、と 最近では、そんなふうに思っています。 息子が今の会社に入れていただく際 人事の方に 「ずいぶん、自信をなくしていますね」 「わが社で、仕事を通して自信をつけていってくださいね」 といっていただいたそうです。 その言葉は常に息子の中にあるようにみえ いったりきたり、わーわーさわぎながら それでも、そんなふうに思ってくれる人もいるんだ、ということは 励みになってるみたいです。 人は、考える葦ですから そりゃ、生理的欲求、安心欲求、所属の欲求、承認欲求、ときて「こうありたい」をつかんでいくのではないかなあ。改めてマズローは正しいよな、と思うこのごろです。 少し前の娘の言葉の 「緊急連絡先」があるから「大海原を渡ることができる」わけで と、いうことは、しのごのいわずに黙って緊急連絡先に徹していたらいんでしょうね。 それは、動揺したとき、聞いてほしいとき、感情に飲み込まれちゃったときに 黙って聴いてくれる誰か、のいるところ。 そして、「子ども」がそうできるには 親は「ニュートラル」でいたほうがいいし ずいぶん前にお友だちのご主人は 「俺は空気になる」宣言をされたそうです。 ある時期の子どもには、そういう姿勢は必要なんだろうな、とおもいます。 重くなく軽くなく、たんたんと、ひきずらないこと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.12.20 14:14:28
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