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テーマ:相撲
カテゴリ:相撲
拙著「効率よく資格が取れる『必勝勉強法』」のプロフィール欄には、 「相撲初段(財団法人(当時)相撲協会認定)」 を保有資格として掲載しております。 それには理由があります。 私にとって「国技館の土俵に上がること」は、単に「楽しみ」であるのみならず『生き甲斐』であったからです。 国技館の土俵に上がるには、アマチュアの場合、地方大会で勝ち上がる、社会人相撲でいい成績を挙げることで、国技館で行われる大会に出場できないと上がれないものです。 ですが、日本相撲協会は「相撲の指導普及」を目的に、年に一度「進級試験」を主催として行っております。このイベントは、アマチュアで実績がなくても国技館の土俵に上がれる貴重な機会です。 ただし、コロナ禍による中止を経て、進級試験自体は再開されたものの、大人が出場できる「初段の部」及び「弐段以上の部」は休止されたままです。 『相撲のメッカ』国技館で「相撲が取れる喜び」を得る人が増えるよう、段位の部が再開されることを願いつつ、国技館での思い出とともに私が感じた「国技館の土俵」について書きます。 ![]() 国技館の土俵は「粘り」がある国技館の土俵は「荒木田」という土が使われています。 この土は、一般的な「赤土」と違って粘り気があり、私は「好き」な土俵です。 なぜか? 硬い赤土は、足の裏が擦れて痛くなるのですが、荒木田の土俵はなんとなく「ふかふか」していて足の裏にやさしい感じがするのです。 その代わり、足の裏にべったりと土がつき、真っ黒になります。 大相撲で、結び前に相撲を取った力士が「勝ち残り」または「負け残り」で控えに座っている際に、足の裏を見てみてください。きっと、荒木田土で黒くなっているでしょう。 その国技館での私の戦績ですが、 国技館デビューの2005年は「初段の部」でベスト8になり、初段を獲得。翌年は「弐段以上の部」に出場し、ベスト8。その後、2019年まで「弐段以上の部」に出場を続けましたが、勝ったのは2回ほど。残念ながら、初戦敗退が多いです...。 ですが、「国技館の土俵に上がる」ことを目標に、体づくりをする動機ができたこと。そして、それが生き甲斐となっていたことを思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。 国技館での「不思議体験」進級試験は、最初に書いた通り日本相撲協会が主催しております。 そして、指導普及部に所属する親方や、審判を務めたり、席で土俵を見守っております。 進級試験は、幼児の部、小学生の部(学年別)、中学生の部、初段の部、弐段以上の部と、それぞれトーナメント制で行われます。 そして、準備のために支度部屋を使う、支度部屋の「鉄砲柱」を使って準備運動をする、取り組みが終わればお風呂に入る、まさに「お相撲さん」体験ができるのです。 ![]() この国技館の「お風呂」は、一般の大人でも3人くらい足を伸ばして入れるくらい大きいです。ここで疲れた足を摩りながら、疲れを癒す。なんとも贅沢なひと時です。 そして何より嬉しいのが、親方から「頑張ってください!」と声をかけられることがあります。これまで「頑張れ!」と応援していた力士が親方になり、声をかけられる側になるのは「とても不思議な感覚」になります。 親方の「人柄」に触れた思い出先ほど、指導普及部の親方が審判を務める、と書きました。 私が取り組みの時、私の背中には今は亡き、元寺尾の錣山親方が審判をされておりました。 この取り組みでは幸い勝つことができ、喜びを噛み締めながら土俵を降り、前に座っていた錣山親方に会釈をしました。その際「お疲れさまでした」というように親方が会釈してくださり、とても感動しました! ![]() (会釈する錣山親方と私) 小学生の時、ファミコンの「寺尾のどすこい大相撲」を楽しんだり、名古屋場所の宿舎ではサインをいただいたこともあり、とても大きな存在だった方。その親方が、自分の相撲の後で会釈してくださったことは、私の人生の中で大切な思い出です。 錣山親方の人柄に触れることができた瞬間でした。 今年は、大会自体開催されないものの… |