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仕事が楽しくて仕方がない人を一人でも多く増やす

仕事が楽しくて仕方がない人を一人でも多く増やす

商社マンに憧れて

大学を卒業するときは他の大多数の学生同様、どこに就職しようか、と考えた。「どこに就職しようか」であって、自分で何か新しいことを始めようといった起業家意識や、何をこの人生で実現したいか、といった大きな思いは何もなかった。今思えば本当にお子ちゃまで、流されるままだったと思う。多数大勢の雰囲気に流され、判断能力を失っていた時代でもあった。

どの分野にいこうか考えたとき、やっぱりカッコいいのがいい!ということで、商社を狙った。私が卒業した大学は商社に入っている先輩はほとんどいなかったが、それでも少ないOBを頼って、何人か会った。そんな中で自分を気に入ってくれた先輩がいて、そこを第一志望とした。

そこの会社を受けた同じ大学の卒業生は当時130名くらいだったのだが、運良くひとりだけ採用された。密かに「130分の1の競争を勝ち抜いた
んだ」なんて、自慢げに思っていた気がする。

一方で他の有名大学から20人とか入っている同期を見て、自分はただひとり。なんとなく寂しい想いを感じていた。

同期入社の女子社員や先輩社員はそれこそ、綺羅星のごとくきれいな子やかわいい子がいた。ただ、自分自身はいまひとつ自信を持てなかったようで、ほとんど積極的に声をかけたりはしなかった。仕事に追いまくられて、そんな余裕もなかったのだが・・・

配属された初日から夜中の12時まで残業した。
それからは息つくひまもない残業の日々がまっていた。
会社に泊まっている同僚も何人かいた。
夜はメシをくう気力もなくて、ビールのぐい飲みで済ませていた記憶がある。

そのころは絶好調に儲かっているころで、仕事が終わる10時ころから先輩に誘われて六本木やらに飲みにいく。なんかおもしろいお店がいろいろあった(今はそのほとんどが潰れている)。私が入社した当時の課長さんクラスの中には銀座や六本木で飲むと帰りはハイヤーを使っている人もいた(もちろん、使わない人もいた)。

えらく豪勢なんだな、と思ったし、自分もそれくらいになったら、ハイヤーを使うようになるんだろうか、なんて、てんで方向違いのあこがれみたいなものを感じていた。

海外から大物がきたときの接待といえば銀座のクラブの女の子をお店を休ませ、全員貸しきって、お座敷に呼んで、おこづかいをばら撒くなんていうことを先輩達がやっていた(自分はその場に居合わせたことはない)。まあ、結構とんでもない世界にはいってきたかも、とも思ったが、悪い気はしなかった。

プライベートで飲んでも帰りは必ずタクシーを使う。朝は車で通勤し、会社の下に駐車場を借りていた時期もあった。車は結構いい車に乗っていた。

仕事に追いまくられている中、新入社員の秋に嫁さんと知り合い(嫁さんは会社とはまったく関係なく知り合った、どこで出会ったかは今後のシリーズのどこかで書くかもしれません)、独身寮には帰らず、ほぼ同棲生活を送るようになった。

4年目にインドネシア駐在の話が来た。それを機に結婚、インドネシアに旅たった。一体どんな生活が始まるのか、胸を躍らせた旅立ちだった。

まさかそのときはたった一年ちょっとで帰国するはめになるとは思ってもいなかった。⇒続く



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