光のかけ橋 心と癒しの世界

2010/08/12(木)13:12

■スピリチャルな事を目指している 約2通りの求め方

スピリチャルな事を目指している方は沢山いると思います 大まかに分けて、色分けすれば約2通りあると思います 道場である一定の規律の中での修行をしている修行僧や巫女さんとセミナーやセッションの中でのティチャ―から教えを受けて、 能力的なものを開発して行こうとする方に分れるかなぁ?と思います 沢山のティチャ―を見まして、殆どの方はセミナーやセッションを通して能力重視で伸ばすほうに目指していたみたいと思いました。 自分はどちらかと言いますと、チャネリングなどの能力的なものではなくて、何も求めない瞑想(座禅)を主にしていました。 それから縁あって、セミナーやセッションなど受ける事ができましたから、その両方の良いところも解かりますし、 良くない所と言えば語弊がありますけどね ただ、セッションやセミナーではなかなか悟る事はできないと思いました。 悟るという言葉を自分は使っていますが、夢物語りではなくて、開祖が通って言った悟りの事を自分は言っています。 自分個人の考えでは、ある一定の規律の中での修行をしていて、 その上で?(併用)セミナーやセッションとか受けられたら良いと思いました。 正道を歩んでいて、悟った師でないと、何処が間違っているとかも解からないし、 堂々巡りでメイロの中にいていつまでも出られなくなると思いました。 まぁ~チャネリングなど習って能力開発を目的にしているから仕方がないのかもしれません また、能力活溌を目的にしていなかった自分には、聖人と言われているクンダリ二―覚醒や悟りと言われている体験をしました。 お釈迦様の悟りを開かれたと言う、物語りと思われている悟り(見性)体験をしました。 それにカルマ(解消)と言われていて、カルマのパンドラの箱を自分は開けています。 これも能力開発を目的にせず、正道を学んでいたからこそ体験が出来た事だと思います。 能力開発の目的などしなくても、仏教なら仏教、キリスト教なら純粋なるキリスト教を学んだら 開祖の通った足跡を辿っていけるものだと思います。 自分の見解は良くティチャ―の方などはチャネリングをして、天使や聖人をコンタクトしているから、 天使や聖人と同等の霊格が身につけていると言っている方がいますが、まったくの勘違いだと思います 少なくても、開祖が通って行った、悟りの香りも伝える事はできないと思います。 自分は沢山のティチャ―がいっぱいいますが、自分のような体験をしたと聞いた事はありません。 ある団体などは、聖人や菩薩、如来の再来だと言う方もいますし、 インドでもなかなか体験している方はいないと言われていますが、その体験している自分が言うのですよ~ 体験したから霊性は身についているのではありません。 体験はあくまで体験です。 その体験をしても何もならない、その体験しても何にもならないのならと思われる方がもっと何にもならない方だと思っています 心の思いや行いがキリスト様やお釈迦様とそれに菩薩と言われている聖人と同じような霊性になってはいないんですよ。 マザーテレサのような大きな愛やそれにキリスト様のような聖書の中の真理を身につけてこそ、 聖人や菩薩と言われるレベルに達する事になるかもしれません。 自分の心の中は、乗り越えていけれない壁をなかなか乗り越えれない自分にもどかしさがあります。 いくら奇跡の体験をしても、それはあくまで体験であって、キリスト様の霊性を身につける事はできません。 決して、謙虚に言っているのではないし、良く思われたいから言っているのではないんですよ。 自分は聖書の中の真理を身につけてないから、菩薩や聖人になってはいないといいます。 カリスマ性を持っている宗教家の創始者などの方はクンダリ二―覚醒は聖者だと言っていますが、 自分はそうではなくて、体験はあくまで体験であって、ルカの福音書などの聖書の中の真理を身につけてこそ、 聖者だと思っている違いがあるだけです。 スピリチャルな事を目指している方は、もっと本来の仏教やキリスト教を学んで、 仏教や聖書の中の真理を身につけてこそ本来のスピリチャルな事を目指す目的ではないんでしょかね。 その為には六波羅蜜やハ正道を実践して行きたいと自分は思っているだけなんです。 あまり仏教やキリスト教と言われている宗教に拘らない方は、世間で言われているスピリチャルな事と言われているものを目指さなくても、 自然に沿った生き方をして、心の成長を目指していけたらそれでいいんだと思います

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