座禅の形になって行く😄👍
自分は思うんだけどね?!座禅で悟り見性体験をするのは、これは今の時代とか関係なく相当難しいかもしれない結局は神仏のご加護に師の恩恵によって開く事ができるかもしれないとしか言えない😅🖐️何故なら自分は体験をしているからね?!ほんと今考えて見ても、師のご指導なくしては開く事ができなかったとつくづく思い知つた😀でも警策?これがもしそう言つた道場だったなら、自分は開かせて貰う事はできなかつたと思う何故なら反対に集中が途切れてしまう警策の変わりと言っちゃあ変だけどね?師がいてその代わりになっているんだよね😅それとやはり接心でないと、短い参禅では無理があると思うねただ壁に睨みつけてしっかり足を組むのは最初はいいとして、それをしていても、長い接心では自然と座禅の形になって行く?だから何悟りを開こうとか思わず、すべて成り行きに任す事🖐️自分の場合は接心2日目ぐらいに開かせてもらったのです👍ほんと座禅中は指導されているのが解ってねそりゃー苦しいって言うもんじゃあなかった😥しかも朝4時から始まり、午後9時まで座禅食事トイレ以外はすべて座禅しかし食事作法の手順も決まりもあり、これが相当こたえた!座禅中ではもう〜足が痛いつて言うもんじゃあなくそれで自然と体がもがき苦しんで体がひといでに動くんだよね。そうしたら師が自分の隣に来て座るんだよね😮💨もう〜ほんと自分の限界を越えてなお限界を超えてねそれでも苦しくて心の中じゃあ悲鳴あげていて、しかも隣に座っている師に怒られ、それでその時間が終わった時に一筋の涙がスーッと滴り落ちた😀それを師は見て、これが本当の真珠の涙だと言つた可笑しい悲しくもなく、辛くて泣くのでもなくこの涙は何なのか?いったい何なのか?魂からの溢れんばかりの歓喜じゃあないのに?!でも流石師匠ですねえ〜ちゃんと心得ていますこの者を開かせるのに、ちゃんと見ているこんな言葉は悪いかもしれないけど、二人三脚で二人の呼吸が合わなかったなら、転ぶし前には進めない親鳥は雛が卵からふかする時に、タイミングを見計らって、雛が殻を破り表の世界に少しずつ出てくるのを親鳥は見計らって、絶妙なタイミングで少しずつ殻を取り除いてあげるように、あまり早くしても遅すぎても良くない絶妙なタイミングを親鳥は見計らっているのですね弟子も師匠も本当絶妙なタイミングで開くのです微妙なズレやタイミングが合わなかったなら、開かせる事はできないどっちかかけていても無理だった弟子も師匠もおんなじステージで、タイミングよく二人の呼吸が重なったんだろうね?本当の運命はおかしなもん事の始まりは、先輩が新聞紙の広告を手に持って自分にもつて来た。そしてそのお寺の道場に出向いたのがきっかけとなり師匠とはじめの対面の時、何とも言えない感情を自分は持つたどう言ったら良いのか?懐かしとかじゃあなく、何か圧倒されて、その方の不意気に飲み込まれてしまいました凛として、何か得体のしれない今までこんな方との出会いはなかったその時にお前の目は輝いているもつともつとキラキラすると言った。どこかで座禅とかしたことがあるのか?少し前に密教ヨーガとかした事がありますと言うと、ここは座禅するところ、瞑想じゃあないもしここで座りたいのなら座禅をしなさいと言うた自分の思いはブツタは一人では悟りを開いているじゃあ〜自分も同じ人間でブツタが悟られたなら自分だって悟れる一人では開いて見せる師は道場の済でいても、警策ぐらいなるからとその程度しか当てにもしてなかった。そりやーブツタが一人で悟られたのだから、自分だってできるのこの心構えが座禅始まったら、全て崩れていったのです。集中といえば集中何だけど、一羽の鳥何だけど今まで聞いたことの無い歌声を゙さえずっていたのです。それを、不思議と聞いていて何というか?こんな鳥の歌声は聞きたことが無い何なんだ?どうなっているんだ?!その時が悟り見性体験の手前まで来ているんだよそれと感情が蘇って来て恐怖心がわき起こり、自分はとっさの判断だで、気持ちを逃げだしたくなって得体のしれない感情から逃げたのですその時はもう〜悟り見性体験の間近、寸前みたいな?!それを、師は見計らって最後一瞬に悟りを開いた時に言う有り難い教えてを説いて、悟リを開いた時の名文句?それを弟子に伝えるんですこういったところを師は指導されて、絶妙なタイミングで開かせてもらってのです😄😀師匠と弟子の関係が解っだまるでひちりんのように、あまり手を近づき過ぎると火傷をするひちりんから手を近づがなければ、手は暖かくならないちょっと良い距離があるのがわかったこれが師と弟子との関係だと思った👍でも、禅宗の本山にしても、悟った師が居ればもしかしたら悟りを見性を開くことができるかもしれないでも、禅の檀家の住職は免許改善資格の為に資格を取りに行くのが支流だと思うし、悟った師匠なんてそうたやすくいるもんじゃあない自分の知る限りは悟り見性体験は、何名かの老師が書物に残して、それらしい体験を書いているようですもし今から座禅悟り見性体験を新たに始めてももう〜道ができているから、体験はいつだってできるても初期の頃のように初めての座禅から始めるとなるとこりゃーまったく自信がない😄もし接心をしようと思う方が、いれば全て手放し世俗もシャッターアウトあるものは眼の前にある壁だけ頑張りすぎず精神が凄く鷹揚して、集中力を途切れさせないで一定の集中力を保つ🖐️睨みつけてしっかり座る座禅じゃあなくて他肩の力を抜いて壁に一点に集中、目の視線をスーッと一点に集中これだけ😄🖐️きっと精神集中の意味が、禅が整えてくれるでしようね🖐️座禅の形になっていくのであろうね😔🖐️