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カテゴリ:TMS
![]() 前回ご紹介した,二井林氏の「こんな話が……」を受けて,益田昌氏が,TMS111号(昭和32年9月号)で,「関西模型人に反論する こんな話があつたとは!」と題する文章を寄稿。 「6月号の“こんな話が……”を読んで…僕を驚かせたのは8粍ゲージの登場である。…それがTTの対抗馬として本気で(注:原文では「本気で」に傍点)懸念されていると云う事実,これには僕も聊か意外だつた。TTを語るのになぜこんな荒唐無稽な物を引合いに出さねばならぬのか。必然性の無い単なる例え話なら兎も角,『8粍が考えられるが故に』TTが中途半端であるとか,或は運転ゲージとは言い得ぬなどと結論されてはかなわない。…『8粍はTTに優越する』と云う見方は合理的なようだが実際はおよそ非現実的な空論だと思う。…16番ゲージャーにTTを見せると,まず誰もが『こんなに小さいとは思わなかつた』と言う。…16番の倍程度の0番を『バカでかい』と思う人々も,同じく七割強のTTを,見ぬうちはその7割と云う数字にごまかされて,恐らく『中途半端だ』と考えていたのだろう。…こゝで例の8粍を仮に1/150サイズとして計算すると断面積にして,実に16番の2/7と云う小さなものとなる。成程この位小さくなれば充分すぎる程の大きなレイアウトが出来るだろう。併しレイアウトとは単なるパノラマでは無く,車輌を走らせて楽しむものだ。その車輌がこんなに小さくては,極端な簡略化を余儀なくされるから機構美も失われようし,メカニックな律動感も充分には味えぬだろう。そんな車の運転が果して面白いだろうか。オモチャの様な車輌,単調な走行ぶり―車輌は単なるストラクチュアと化し,車輌模型と云うジャンルがレイアウトの規模の中に完全に併呑されてしまう。―…僕は8粍を荒唐無稽であると言つたが,その根拠は前述の通りまづ第一に大きさが不適当である事であり,また第二には技術的に現実性が全く無い事である。そう言う非具体的な代物を,現実に何人かの人の手によつて造られているTTと比較する事が,果して正当と云えるだろうか。…TTはすでに,普及し得るゲージとしての『今日』を持つているのだ。…」とあります。 8ミリゲージの縮尺として,今日の日本型Nゲージと同じ1/150が想定されていたこと,TTゲージを自作されていたモデラーの方から,8ミリゲージについて「荒唐無稽」「技術的に現実性が全く無い」と断言する声があったことなど,非常に興味深いものがあります。 さらに,益田氏の論稿を受け,TMS113号(昭和32年11月号)では,「9月号益田昌氏の御意見に関して関西から答える こんな話になろうとは!」と題する,なかお・ゆたか氏の論稿を掲載。 なかお氏は,「益田氏が6月号の意味を曲解されているのではないか」とした上で,「もう一度よく読んで下さい。…あの文章は19人の意見をまとめたものですから,一人一人は同じ16番に対してもそれぞれ少しづつ異つた考えを持つています。その中の少数の人は,列車中心の運転主義を実現するためには,特にレイアウトを中心として考えた時,どうも大きすぎる面があると感じており,そのためには今の16番の7割程度のTTでは不充分,半分位の8ミリ程度のものができないと完全に慾望を満たされないのではないか,と考えているのです。…TTはダメなどとは決して云つてありません。従つて益田氏は,16番ゲージャーがTTに対して持つている疑点について,納得のゆく解説をされるのが当然であつたと思います。…16番で満たされない運転面の欲求を満たすには,TTではまだ不充分と云うことになり,それがひいては16番の1/2程度,即ちあそこにある8ミリへの欲求となつて現れているのです。ですから現在はもしこれが実現できたらと云う,夢と希望に似たものにすぎませんが,将来この種ゲージが実現しないとは断言できません。又もし生れるとしたら,それは従来の0番やS,16番や(TT)と全く別個の目的と手段と方法を持つて現れるでしよう(注:原文では「目的」「手段」「方法」に傍点)。…この記事を読んで,逆に今の16番は大きすぎて困つていると云うふうに,一途に思いこまれても困ります。これは『16番より小さなゲージは採用しない』と云つている人が60%あることでも判るでしよう。…今の16番の長所短所は何か,TTより更に小さいゲージへの望みが何故あるかを冷静に考慮して下さい。益田氏や佐藤氏は現在日本のTTのパイオニアであり,リーダーの立場にあるのです。…もしTTが現在の16番程度に発展すれば,『TTはやらない』と云つてる人も,必ず食指を動かすに決つています。喰わず嫌いとはそう云うものです。どうか御安心下さい。」と述べられています。 今から60年前に,8ミリゲージにつき,「将来この種ゲージが実現しないとは断言できません」と述べられていること,「この種ゲージ」が16番等とは「全く別個の」鉄道模型になるだろうと予言されていたことは,驚くべき先見性と言えるのではないでしょうか。 なかお氏の論を受け,益田氏は,TMS115号(昭和33年1月号)で,「8ミリ論争拾遺 TTファンより再びお答えする…」と題した文章を寄稿されています。「8ミリなどと云うゲージが,例え夢や希望でしかないにせよ斯うして話題に取上げられるようになつたと云う事は,それだけ鉄道模型の世界が安定して来た事の証拠なのだと云えぬ事もありませんし,事実そのように考えて傍観している人もあるようですから,今どき慌てて8ミリの心配をする必要などないのかもしれません。併し乍ら,もしその『夢』にTTが押流されるような事態が生じたら―と,やはり私としてはその点にこだわらぬわけには行かないのです。TTの存在価値を認めて戴くためには,どうしてももう一度8ミリと対決する必要があるように思います。…具体的にこの8ミリの可能性を考えて見ると,それが運転して楽しめるかどうかは全く疑問です。16番やTTに比べて有利と思われるのはレイアウトスペースだけで,技術的には勿論,視覚的にもまた無理があります。こうした点をどうするかについては,中尾さんは『ただ夢と希望に似たもの』或は『次元も目的も異つた別のジャンル』と仰言つているだけです。これでは私も納得が行き兼ねますし,やはり『不可能だ』と判断せざるを得ないのです。…尤も,私とて1/110が作り得る最小のサイズだとは思いません。或はもつと小さくても作れるかもしれない。併し,それとてもTTよりほんの僅か小さい程度,せいぜい1/120位迄ではないでしようか。その程度の違いなら,TTの国際性の方に軍配が上ります。…」として,一連の応酬の締め括りとされています。 その後のTMS誌における8ミリゲージ,TTゲージ,そしてNゲージの展開については,次回以降追っていきたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.12.06 21:29:36
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