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カテゴリ:TMS
11月21日,加藤祐治・関水金属会長が逝去されました。今日のNゲージの世界を築かれた故・加藤会長に心から感謝と哀悼の意を表します。
加藤会長は,昭和20年代,実家の加藤金属でHOゲージ用の台車などの製造を開始され,昭和32年には関水金属彫工舎として独立されました。 関水金属がNゲージの製品化を公表したのは,TMS(鉄道模型趣味)199号(昭和40年1月号)掲載の広告「1965年から始まる9mmゲージ」でした。そして,昭和40年,関水金属から,記念すべき日本初のNゲージ,C50蒸気機関車とオハ31客車が発売されました。 ![]() (TMS211号より。快走するC50蒸気機関車とオハ31客車ほか) TMS211号(昭和41年1月号)で,二井林一晟氏とTMS編集部による,C50蒸気機関車とオハ31客車のレビューが掲載されています。 編集部は,「2年前にTTゲージのC50を持って訪れた関水金属に,9mmゲージを一貫したシステムのもとに作ることをすすめたのはTMSである。その後,再び今度は9mmのC50の試作品が編集部に姿を現わし,最終的に決定した。このような関係で生れ出た製品だから,本誌ではこの欄で扱ったどの製品よりよく知っている。既に試作ポイントによってレイアウトの製作も進行し,2日間の公開運転もおこなって,その十分な牽引力や走行状態もよく判っている。」とコメント。 二井林氏は,「鉄道模型界に一紀元を画すともいうべき関水金属の9mmゲージが,10ヵ月の予告期間を経ていよいよ発売された。『まずは見参』と,とりあえずC50と客車3輌を求め,仮設エンドレスを走らせてみた結果はまずまずの結果で,一応の自信は十分ついた。…」と述べた上で,牽引力や客車の転がりなどを詳細に検討しています。 最後に,編集部は「結論を書こう。関水の9mm製品は今後出現する電車やアクセサリィへの期待を含めて,日本の9mmゲージの基礎を作ったといえる。9mmを始める人が求めるべき日本唯一の製品である。」と締めくくっています。 ![]() ![]() (カトーのC50とオハ31客車。C50先頭部のダミーカプラーは欠損している) ![]() ![]() (TMS41号(昭和27年2月号)より,加藤金属時代の広告と,TMS編集部が加藤金属に注文して高松吉太郎氏に贈った,HOゲージの玉電デハ80) 関水金属のNゲージ誕生の経緯は,TMS403号(昭和56年7月号)のミキスト欄でも触れられており,昭和30年代末を懐古した,以下のような記載があります。 「ひさしぶりに加藤祐治氏(関水金属社長)が私(注:TMS山崎主筆)をたずねてきた。 それまで各社のドロップの台車枠を製造してきたが,ぜひ車輌を生産したい。ついてはこういうものを試作してみたが,と言って取出したのはTTゲージの蒸機であった。 非常によくできた12mmゲージ1/110のC50である。これをプラで大量生産したいのだという。 見てすぐに,これはだめだ,TTは世界的に見ても下り坂で,東ドイツとイギリスに少し商品として残っているだけだということを話した。 …TTはだめだが,Nなら応援しようと言って,縮尺は日本形は1/150と一致し,それから2ヵ月たった。加藤氏は9mm1/150のC50を持って再びTMSを訪れた。」 一方,昭和30年代末頃,関水金属とは別に,Nゲージの製品化を模索する動きがありました。 TMS208号(昭和40年10月号)のミキスト欄には,以下の記述があります。 「9mmゲージについていろいろ書いて以来1年たった。その間にさまざまなことがあった。 その一つは有名な電気メーカーS社が9mmゲージを発売する,という話である。 このことは本年2~3月頃に見本を持って関西中心に市場調査をしたのち,業界紙やクラブ紙上に書かれたこともあるから一部のファンは御存知のはずである。私は1年以上前から知っていたが,立場上から活字にはしなかった。 このモデルはヨーロッパ式の考えの設計で,たとえば車輪の寸法などはメルクリンやフライシュマンのようなタイプである。16番のフランジよりも9mmの方が高い。これが良いかどうかは別の話で今はふれないが,構造的にはパンタグラフなど興味をひくものがある。 全般的に見てこの9mmが『予定通りS社からの発売』になるならばゲージは別としてモデル全体の普及のために役立つことで,大いに歓迎されるべきと考えている。 一方,関水金属の9mmは日本またはアメリカ式の設計である。平たくいえば16番ゲージを小さくしたようなものであるが,9mmには9mmの道があるから,適宜新らしい材料や新らしい設計も使われている。この方は発売もまぢかだし,本誌上の広告でもわかることだが,ファン諸兄が手にとって評価されるとよかろう。」 また,TMS210号(昭和40年12月号)においても,二井林氏の「9mmゲージ・その新らしい魅力」で,関水金属と,もう一つのNゲージに言及されています。 「工作技術の進歩によって16番でも細密車輌の実現が可能になって以来,運転を中心とした,もっと小さいゲージがあってもいいのではないかと,誰しも考えるようになった。ひところは自作可能という点から一応TTが限度だという論もあったが,世界の大勢は感覚面・技術面の両方から9mmゲージを急速に台頭させてきた。 昨年夏のミキストにもある通り,イギリスのローンスターや西ドイツのラピードが製品を出しており,我国でも新年号以来広告を出してきた関水金属がC50とその列車を発売し,また春ごろには,別に発売計画中のED75とスハ43系の見本を持って関西の模型店を打診してまわったメーカーもあった。…9mmゲージはスペースが小さいために,限られた面積に従来のゲージでは不可能に近かった新しい運転法をとることができるのである。 …9mmは,やま氏(注:TMS山崎主筆)が(注:TMS6号(昭和23年5月号所収『16番への招待』)で)16番を呼びかけた頃よりもずっと具体化され,便利な形で,いまあなたの前にある。大いにハッスルしたいものである。」として,関水金属とは別に,ED75電気機関車やスハ43系のNゲージを製品化する動きがあったことが記述されています。 ![]() 関水金属とは別の「有名な電気メーカーS社」による「発売計画中のED75とスハ43系」というもう一つのNゲージ,それがソニーマイクロトレーンでした。残念ながら,ソニーマイクロトレーンは,結局発売中止となってしまい,市販はされませんでしたが,試作品がいくつか現存しています(詳細はTMS403号(昭和56年7月号)のミキスト欄参照)。 また,ソニーマイクロトレーンのリレーラーが,関水金属に受け継がれていた事実が,後年,故・加藤会長によって明かされています(RM MODELS 123号『Nゲージ開発物語 新たなる挑戦から誕生前夜まで』参照)。 なお,縮尺については,ソニーマイクロトレーンのレイアウトマットには「S 1:150」と記載されていました。 ![]() (ネコ・パブリッシング社「Nゲージモデル・アーカイブス」より幻のソニーマイクロトレーン) ![]() (鉄道ファン昭和41年1月号より。関水金属のC50とオハ31の紹介) ![]() (RM MODELS123号より。初期の関水金属のNゲージカタログ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.07 01:06:48
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