続・業界誌「玩具商報」に関するメモ
以前,業界紙「玩具商報」の辿った経緯について調べた内容を,記事として公開しました。ところが,最近,ある書籍を見たところ,上記経緯は40年前に既に公表されていたことが分かりました。その書籍とは,ノンフィクション作家・佐野眞一の著書「業界紙諸君!」(1987,中央公論社。2000,ちくま文庫)です(初出はダイヤモンド社の月刊「BOX」1985年8月号~1986年7月号連載。玩具業界は1986年4月号掲載の第9回)。佐野は1947年生まれですから,30代後半の雑誌連載,40歳のときの著書ということになります。(佐野眞一「業界紙諸君!」)同書は,玩具業界を含めた12の分野の業界紙を取り上げており,一癖も二癖もある業界紙ジャーナリストたちの人間模様が活写されています。これほど有名な著者の,かつ,文庫化され入手が容易な書籍を見落としていたのは,全く不勉強でお恥ずかしい限りですが,今回は「業界紙諸君!」を踏まえながら「玩具商報」の経緯をあらためてご紹介したいと思います(以下「佐野」と略記。ページ数はちくま文庫版による)。本稿では,存命・故人いずれも敬称は省略しております。ご海容のほどお願いいたします。なお,佐野本以外に主に参考とした文献・ウェブサイトは下記のとおりです。・東京玩具人形問屋協同組合百年史 上・下(1987-1988。以下「百年史」と略記)・愛知玩具人形組合百年のあゆみ(1979。以下「愛知百年史」と略記)・「模型探偵団」明石小五郎の昭和のプラモデル(https://ameblo.jp/akasikogorou/)(以下「明石ブログ」と略記)・ジョイント・モデル(https://pazulumo.blog.fc2.com/blog-entry-524.html)<東京玩具商報→トイジャーナル>(1903~)現在も刊行されている「トイジャーナル」は,1903年4月に東京玩物雛人形問屋組合から「東京雛玩具商報」として創刊。発行の中心となったのは,「顔がいのち」で有名な人形の吉徳の山田徳兵衛(9代目・10代目)です(佐野・p67)。1910年2月に「東京玩具商報」に改題。戦時色が濃くなった1943年3月に終刊し,翌4月から日本玩具統制協会を発行元とする「玩統会報」に変わります(百年史 上・p169)。「玩統会報」は1946年1月まで続き,翌2月から「玩具界」に変わります(百年史 上・p189)。そして,1950年10月に「東京玩具商報」が復活。1967年7月から「トイジャーナル」に改題。現在も東京玩具人形協同組合から発行されています。なお,1948年8月からは「玩具界」と並行して「玩具人形新聞」が発行され,1949年4月に「玩具の日本」に改題されています。「玩具界」と「玩具人形新聞」→「玩具の日本」との関係ですが,前者はメーカー中心,後者は問屋中心という違いがあったようです(百年史 上・p208)。国会図書館には,1948年~1950年の「玩具界」,1951年以降の「東京玩具商報」「トイジャーナル」が所蔵されているほか,占領期の「玩統会報」「玩具界」「玩具人形新聞」「玩具の日本」の一部はマイクロフィルムで閲覧できます。人形を冠した業界紙としては,1974年に「にんぎょう日本」が創刊され(佐野・p68),今日も日本人形協会から刊行中です。<大阪玩具新報>(1908~1943?)以前,拙稿で,戦前に「大阪玩具新報」という雑誌が刊行されていたことを述べました。「大阪玩具新報」については,東大経済学図書館にごく一部保存されているほか,下記のウェブサイトでもその存在が確認できます。札幌市平和バーチャル資料館(https://www.city.sapporo.jp/ncms/shimin/heiwa/tenji/kodomo_02/index.html)明石ブログ(https://ameblo.jp/akasikogorou/entry-12741774315.html)「大阪玩具新報」は1908年に中川良太郎により創刊され,息子の中川正男に引き継がれました(佐野・p72~73。なお,一部の文献では1911年創刊とありますが,これは第三種郵便物認可の年度と混同されているようです)。そして,佐野・p73には,「東京玩具商報」と「大阪玩具新報」が,山田徳兵衛と中川正男のトップ会談により「玩統会報」に統合されたとありますが,この点はやや疑問です。というのも,百年史 上・p168-169には,情報局から両誌の統合をすすめられたが,この問題は容易に進捗しなかったとの記述があり,統合されたとは明確に書かれていません。また,上記の明石ブログには,1943年10月発行の大阪玩具新報が掲載されており,この時点では「玩統会報」と「大阪玩具新報」が並立していたことは明らかで,両誌の関係は謎が残ります(さらに,以前,インターネットオークションには1943年10月~12月発行の大阪玩具新報も出品されていたようです)。(以前,インターネットオークションに出品されていた大阪玩具新報418号~420号(1943.10.30発行の1943年11月号~1943.12.30発行の1944年1月号?(いずれも未入手)))<玩具商報(大阪)→トイズマガジン VS キッズライフ>(1947~1994)「玩具商報」は,1947年に大阪で伊藤昇により創刊。伊藤は戦後,屑鉄拾いから手書きの街頭新聞発行に転じ,1946年に大阪商報社を設立しています。佐野・p70では「(トイジャーナルが)組合機関誌から出発しているのに対し,『トイジャーナル』に次ぐ歴史をもつ『キッズライフ』(旧『玩具商報』)は純然たる民間資本によって創刊されており…ジャーナリズムに対する東西の姿勢の違いが端的に示されていて興味ぶかい」と評されています。(伊藤昇(玩具商報1969年9月15日号より))(「玩具商報」創刊号。発行元は「大阪商報社」)ちなみに「大阪玩具新報」と「玩具商報」との関係は,佐野・p72~73によると,直接両者を結びつける証拠はないものの,伊藤が「大阪玩具新報」をヒントに「玩具商報」を創刊した可能性は大いにあるようです。百年史・下 p93には,「大阪玩具商報が”大阪”を取ってしまった現在では~」とありますが,これは明らかに,「大阪玩具新報」と「玩具商報」を混同したものと思われます。また,日本人形玩具辞典(1968)p504にも,「大阪玩具新報」が「日刊玩具商報」に改称したとする誤った記載が見られます。さて,商報社は,1958年に東京・大阪・名古屋の3本社体制となり,東京本社の社長に一木正夫が就任します(佐野・p77)。以後,商報社は,東京本社の一木主導のもと,1963年に「よいこの太陽」を創刊(佐野・p78では「よい子の太陽」とあるが,正しくは「よいこの太陽」)。1966年に「玩具商報」を「TOYS MAGAZINE 玩具商報」に改題しますが,これらの施策は,大阪・名古屋両本社を押さえていた「”伊藤一族”支配に対する一木なりの予防措置」(佐野・p78~79)であったようです。1974年に一木が死去すると,一木の後継の東京本社社長・橋本義和と伊藤家側の対立が遂に表面化。橋本は,1975年に「玩具商報」を「トイズマガジン」に改題しました。一方,伊藤家側でも新たに「玩具商報」を発行しています。(一木正夫(玩具商報1974年10月15日号より))(橋本義和(玩具商報1974年10月15日号より))佐野本には,以前,拙稿で述べた,第三種郵便物の認可年度等についても「『玩具商報』と『トイズマガジン』の確執の激しさを物語るのは,表紙に刷り込まれた巻数と,第三種郵便物の認可年度である。」(佐野・p80)と取り上げられています。その後,「トイズマガジン」は,1994年10月号をもって廃刊しています。一方,伊藤家側の「玩具商報」は,「TOYS READER 玩具商報」(~1978年頃),「玩具商報 TOY&DOLL JAPAN」(1980年頃~1981年頃),「ジョイライフ 玩具商報」(1982年頃~1986年頃)などを経て,1986年8月号より「キッズライフ」と改題し,1994年に廃刊したようです。国会図書館には「玩具商報」は,1966年~1975年の号が所蔵されているほか,占領期の号の一部がマイクロフィルムで保存されています。1975年の分裂後は「トイズマガジン」は全て所蔵されていますが,伊藤家側の「玩具商報」→「キッズライフ」は,1992年4月号~1994年1月号のみが所蔵されています。なお,2000年には,まんだらけから,アオヤギテツヤ監修により,1958年~1974年の「玩具商報」の広告頁(ブルマァクのソフビなどキャラクターものが中心)を集めた「トイズマガジン玩具商報復刻版」が刊行されています。限定100部でシリアルナンバー入り,全880頁・定価35000円の豪華本ですが,ジョイント・モデルによると,広告頁の出典が記載されておらず,コピーの質も頁によってばらつきがあるなど,価格に比してクオリティは高くないようです。(参考:ジョイント・モデル(https://pazulumo.blog.fc2.com/blog-entry-524.html)コメント欄)<よいこの太陽>(1963~1974?)消費者(子供・保護者)向けの雑誌であり,本稿の主題である業界誌とは異なりますが,ご紹介します。商報社によって設立されたTOY・PRセンターが発行元で,1963年に創刊。筆者は,1974年9月の130号を所有していますが,その後の動向は不明です。雛祭りや子供の日に合わせて増刊号(雛人形や兜の特集)も発行されていました。また,1960年代末から70年代にかけては,ケンちゃんでおなじみの宮脇康之がしばしば表紙に登場しました。国会図書館には,1967年から1972年の号が所蔵されていますが,欠号が少なくありません。(「よいこの太陽」創刊号)<トイズリーダー>(1970~1975?)「トイズリーダー」は,近畿玩具人形小売組合連合会から発行されていました。体裁・内容は「玩具商報」とよく似ており,「トイズリーダー出版局」の住所は,商報社大阪本社と同一でした。分裂後の「玩具商報」が,「TOYS READER 玩具商報」を名乗ったことからすると,両誌は統合されたのかもしれません。(参考:ジョイント・モデル(https://pazulumo.blog.fc2.com/blog-entry-524.html))(トイズリーダー 1972年9月20日発行)<玩具大阪,人形界>(1952~?)玩具商報の二代目編集長だった小川光男は,1951年に独立して大阪商工通信社を設立(佐野・p77)。「玩具大阪」(参考:明石ブログ(https://ameblo.jp/akasikogorou/entry-12509452446.html)(https://ameblo.jp/akasikogorou/entry-12509424939.html)),「人形界」といった雑誌を発行しています。「人形界」は,「業界紙諸君!」単行本p67 では「現在も刊行中」と明記されていますが,文庫本p77ではその記載は消えています。「玩具大阪」は東大経済学図書館に,「人形界」は京大人文科学研究所図書館や,埼玉県歴史と民俗の博物館にそれぞれ一部の号が所蔵されています。1952年の「玩具大阪」が下記HPに掲載されています。https://kogundou.exblog.jp/238812474/<名古屋玩具商報→玩具グラフ>(1951~1956)商報社・名古屋支社に在籍していた村上政雄は,1951年に独立して日本商業通信社を設立(佐野・p77)。「名古屋玩具商報」(1951年5月~1956年7月。1952年10月15日発行の18号より「玩具グラフ」に改題)という雑誌を発行した後,村上は商報社に復帰しています(愛知百年史・p312には「1956.7.1 名古屋の玩具グラフ,月刊玩具商報に合併」とあります)。「名古屋玩具商報」→「玩具グラフ」は東大経済学図書館にごく一部が所蔵されているほか,下記HPに1952年暑中号が掲載されています。https://kogundou.exblog.jp/244617755/<名古屋玩具新報→名古屋玩具商報>(?)戦前にも,以下のとおり,「名古屋玩具新報」→「名古屋玩具商報」という雑誌が発行されていました。なお,佐野・p77では村上の「玩具グラフ」を「愛知県玩具卸商業協同組合の機関誌」と記載しています。この通りだとすると,戦前,名古屋玩具卸商業組合の機関誌だった「名古屋玩具商報」を村上が復刊させた形となりますが,愛知百年史には該当する記載が見当たりません。・「名古屋玩具新報」(?)新聞総覧大正10年版(1921)p433には,「名古屋玩具新報」が「発行人・伊藤とよ 所在地・名古屋市中区丸田町」と掲載されています。広告年鑑大正14年版(1925)p171にも,「所在地・名古屋市中区丸田町」とあります。創刊時期については,三越2巻5号(1912)p21に名古屋玩具新報社から同誌を毎号寄贈されたとの記述があり,明治末と思われます。新聞総覧大正10年版には1916年創刊とありますが,p172に大阪玩具新報が1917年創刊との明らかに誤った記述もあり,あまりあてになりません。佐野・p86には,「大正末に『名古屋玩具新報』が創刊された。」とありますが,上記のとおり明治末には発行されていたようです。・「名古屋玩具商報」(1922?~1935)(中京名鑑(1928)より江藤清澄)中京名鑑(1928)p162には,名古屋市会議員,愛知県会議員などを歴任した江藤清澄(1878-1935)が,「名古屋玩具商報」の社長と紹介されています。名古屋商工案内第10版(1928)p93には,「名古屋玩具商報」が「所在地・名古屋市中区南武平町」と掲載されており,愛知商工177号(1931)p47にも,「名古屋玩具商組合」の事務所が名古屋市中区南武平町の江藤方にあり,江藤が同所で「名古屋玩具商報」を発行していると記載されています。 愛知百年史・p77~79,佐野・p86には,名古屋玩具卸商業組合(1933年に名古屋玩具商組合を改組)常務理事の江藤が個人で「名古屋玩具商報」を発行していたが,江藤の死去に伴い,個人経営から組合直営となり,「新報」から「商報」に変わったとあります(愛知百年史・p81にも「従来発行されていた『玩具新報』の発行権を1千円で買収し,組合の機関紙とした」との記載があります)。しかし,上記のとおり実際は江藤の生前から「商報」だったと思われます。[追記]愛知百年史・p78には,1935年4月28日発行の「名古屋玩具商報」120号が掲載されていますが,同号には「第14年第120号」との記載がありますので,これに依拠すれば,1922年創刊ということになります。・「名古屋玩具商報」(1935~?)(中京名鑑(1928)より岩田芳之助)愛知百年史・p77~79によれば,1935年の江藤の死去に伴い,「名古屋玩具商報」は,名古屋玩具卸商業組合直営となり,発行人は同組合理事長の岩田芳之助(1891-1961)となりました(同・p85には「当組合直接発行致して居ります名古屋玩具商報が有ります」との記載があります)。愛知県新聞総観昭和14年度版第2版(1938)p18には,「名古屋玩具商報」が「発行人・岩田芳之助 所在地・名古屋市東区布池町」と掲載されており,1937年創刊とありますが,愛知百年史の記述を見る限り,1935年が正しいようです。中京名鑑(1928)p22,中京現代人物評伝(1932)p8~,東京玩具商報1961年3月号p61によると,岩田は名古屋市西区御幸本町で岩田商店という玩具商を営んでおり,名古屋玩具卸商業組合理事長や名古屋商工会議所議員などを歴任しました。岩田商店の出していたカタログ「岩田商報」は,愛知百年史・p62や,下記HPで見ることができます。https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=32701640<日本玩具通信>(1948)商工通信社という会社から発行されており,国会図書館にマイクロフィルムで保存されています。<玩具タイムズ>(1951~?)佐野・p87には,戦後「玩具タイムス」という雑誌が大阪で創刊されたが,短命に終わったとあります。大阪輸出玩具工業協同組合創立二十年史(1974)p116には,「玩具タイムス」「玩具タイムズ」の表記揺れがありますが,高田正三(ただし,「東京玩具商報」1954年7月号p39,1956年6月号p65によれば高田政三)という人物により発行されていたようです。[追記]下記HPに掲載されている1951年の「玩具タイムズ」は,雑誌というより新聞というべき体裁で,発行人は中井護となっています。https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=375767606<ニューデザイン>(1958~1972?)日本輸出玩具登録協会により,意匠の保全登録の周知徹底を図るため創刊された雑誌で(東京玩具商報1959年3月号p130),当時の新製品の写真が多数掲載されています。国会図書館には,1972年2月号まで所蔵されています。<おもちゃ>(1962~1970?)キデイランドの創業者・橋立孝一郎が設立した日本トイズチェーン(NTC)から発行されていました。「よいこの太陽」同様,業界誌ではなく消費者向けの雑誌ですが,ここに紹介しておきます。筆者は1970年2月発行の92号を所有していますが,その後の動向は不明です。国会図書館には,1962年から1967年の号が所蔵されています(一部欠号)。<週刊玩具通信>(1965~2023)商報社出身で,戦時中は大陸で特務機関員,戦後は玩具商報の編集人やバンダイの取締役も務めた辰巳幸男により,1965年に創刊されました(佐野・p80)。(辰巳幸男と一木正夫(玩具商報1972年9月15日号より))発行元の日本トイズサービスは2023年に破産手続開始決定を受け,同年に第2825号をもって廃刊しています。残念ながら,国会図書館には,1993年以降の号しか所蔵されていません。[追記]コンプティーク編集長,KADOKAWA社長などを務めた佐藤辰男も玩具通信出身で,インタビューで当時を振り返っています。(参考:電撃オンライン(https://dengekionline.com/article/202409/10562))<B-Young Age>(1973?~2008)「玩具通信」出身の橋爪龍により創刊された業界新聞です(佐野・p81)。国会図書館には,1979年以降の号が所蔵されています。第三種郵便物認可は1973年8月22日となっています。また,同じビーヤングから刊行された「流通ガイド : 玩具・ホビー・ファンシー・人形」(1979)は,体裁・内容など「玩具商報」との共通点が多くみられます。「流通ガイド」は1981年版もあるようですが,未確認です。なお,某仏教系新興宗教出版社からよく似た名前の月刊誌が発行されていましたが,そちらとは全く関係なさそうです。<旬刊ファンシー→キャラ通>(1980~2003)「玩具通信」出身の岩下勝紀により創刊されました(佐野・p81~82)。「旬刊ファンシー」(1980~1994),「ファンシー&エンターテインメント」(1994~1996),「エンターテイン&ファンシー」(1996),「エンターテイン」(1996~1997),「キャラ通」(1997~2003)と目まぐるしく名称変更しています。国会図書館には,1982年以降の号が所蔵されています。<日本玩具新聞>(1958~?)朝日新聞社出身の野村嘉位により,1958年に創刊(佐野・p87)。大阪府立中央図書館国際児童文学館に1984年~1986年の号が所蔵されています。<日本教材新聞>(1949~1965?)静岡市の医師・山本篤により,1949年9月1日に創刊(佐野・p87~88では,1948年創刊とありますが,静岡模型全史(静岡模型教材協同組合,2011)p134~135では1949年創刊とあります)。当初は「日本」の付かない「教材新聞」だったようです。佐野本では1955年頃に廃刊とありますが,静岡模型全史によれば1965年頃まで続いたとのことで,1961年の号を明石ブログで確認できます(https://ameblo.jp/akasikogorou/entry-12857850332.html)。<日本模型新聞>(1950~)「文具情報」という業界紙の編集長だった田村禎造により,1950年10月15日に大阪で創刊(佐野・p87,日本プラモデル50年史(文藝春秋,2008)p182~183,静岡模型全史・p236~237)。(日本プラモデル50年史より,日本模型新聞創刊号)今日でも盛業しています(http://www.g-toppress.co.jp/)。国会図書館には,1950~1960年代の号は欠号が多いですが,1970年代以降は概ね揃っています。また,「日本模型新聞 ラジオコントロールモデル版」(1975?~1987),「日本模型新聞 鉄道模型版」(1978~1983)→「ホビーズ」(1984~1994)→「Gトッププレス ホビーズ」(1994~2003)といった姉妹紙もありました。<日本模型教材新聞>(1963~?)東京・西神田にあったようです(参考:明石ブログ(https://ameblo.jp/akasikogorou/entry-12676554726.html))。[追記1]以前,インターネットオークションに,1966年の「日本模型教材新聞」がまとめて出品されていました(未入手)。1966年1月11日発行の105号から同年11月11日発行の134号(抜けあり)で,旬刊だったようです。この号数から逆算すると,創刊は1963年と思われます。また,同社発行の「'66 みんなのプラモケイ」も出品されていました(未入手)。[追記2]その後,インターネットオークションに,1967年10月11日発行の「日本模型教材新聞」163号が出品されていました(未入手)。東京本社の住所は文京区大塚となっています。(以前,インターネットオークションに出品されていた日本模型教材新聞131号(1966年10月11日)・133号(同年11月1日)・134号(同年11月11日)(いずれも未入手))(以前,インターネットオークションに出品されていた日本模型教材新聞163号(1967年10月11日)(未入手))(以前,インターネットオークションに出品されていた日本模型教材新聞社発行の「'66 みんなのプラモケイ」(未入手)))