ブルマァクとNゲージ
最近,くらじたかし「マルサン-ブルマァクの仕事 鐏三郎(いしづきさぶろう)おもちゃ道(みち)」(文春文庫,2001)という本を読んだところ,気になる記述がありました。[追記]本稿公表後に知ったのですが,くらじさんは今年の夏に亡くなられたとのことです。ご冥福をお祈りいたします。p164「石田幸太郎は,マルサン商店時代の試作担当,ゴジラ・プラモをマルサン商店に導いた渡辺保男の元を訪れている。パワーパック付きのNゲージの電車を開発するためだったが,残念ながら商品化には至らなかった。」[追記]軽便鉄模アンテナ管理人のうかいさんも,上記の記述について,2010年にツイッターで「『マルサン-ブルマァクの仕事 鐏三郎おもちゃ道』…によれば1970年代?にNゲージの製造を考えた事があるようですね。」と指摘されています)。この本の主人公,鐏三郎は,中学を卒業すると,マルサン商店(1947-1968。ブリキ自動車の最高傑作・キャデラックや,国産プラモ第1号を標榜した潜水艦ノーチラス号などで知られる)に入店。マルサンの倒産後は,石田幸太郎らとブルマァク(1969-1977。ウルトラマンなどのソフビ人形などで知られる)を設立しました。上記の幻のNゲージ開発が何年のことだったのか,明確な記載はありませんが,前後の流れからすると,ブルマァクが設立されて間もない,1969年か1970年代初頭のようです。そうすると,石田幸太郎はどこから,Nゲージ開発というアイデアを得たのでしょう? 候補としては,以下のルートが挙げられそうです。1.レベル社前記のように,マルサンでは,国産第1号を標榜した潜水艦ノーチラス号のプラモデルを発売していますが,これは実は米国・レベル社製品のコピー。その後,なんとマルサンはレベルと業務提携し,正式にレベル製品を取り扱うようになります。ところで,レベル社では,西ドイツ・ARNOLDのNゲージを自社ブランドで発売していました。そうすると,レベル社をヒントにNゲージ開発を構想した可能性があります。2.学研マルサンは,倒産前に工場設備を学研に売却。倒産時には従業員の再就職を受け入れてもらうなど,玩具業界への進出を図る学研とは浅からぬ関係がありました。その学研は,1968年から,西ドイツ・TRIXのNゲージを輸入販売していました(後の1975年には0系新幹線を製品化)。そうすると,学研の取り扱っていたTRIX製品がヒントになった可能性もあります。3.トミー「マルサン-ブルマァクの仕事」には,トミーは登場しませんが,大手メーカーであるトミーの動向は,ブルマァクも当然目にしていたはずです。トミーは,1969年頃から,米国・バックマンのNゲージをトミーNスケールとして発売。広告も積極的に展開していたので,これがブルマァクのヒントになった可能性はあります。4.童友社童友社では,1969年にC58のプラモデルを発売(童友社のC58が,多田製作所のロコメートを参考にしていると思われることは,当ブログで指摘しています)。1975年には米国・バックマンのNゲージを輸入販売しています。童友社がユニークなのは,乾電池式のコントロールボックスに車両・レールを収納できるようにしていたことで,「パワーパック付きのNゲージの電車」という文言からは,童友社製品を思わせる部分がないわけではありません。5.サクラブルマァクでは,マルサン時代よりブリキの国電・新幹線を発売していましたが,これは後にサクラ(現在のトレーンはサクラの流れを汲んでいる)に引き継がれています。そうすると,サクラから発売されたパーコンひかり号は,実はブルマァクで構想された製品だったのかもしれません。(サクラのカタログ(1970年代末か1980年代初頭)よりブリキ製新幹線・国電)(「マルサン-ブルマァクの仕事 鐏三郎おもちゃ道」p219よりブルマァクのショールームに展示されているブリキ製新幹線・国電)(神永英司「マルサン物語 玩具黄金時代伝説」(朝日新聞出版,2009)よりマルサンのブリキ製国電)以上のように,様々な物語が想像されますが,試作品の画像か設計図でもない限り,いずれも想像にとどまりそうです。果たして真相は・・・