2009/08/17(月)22:37
ある意味全ての存在は『 中 』 なしには、常に闘いのなかにあると言ってもいいでしょう。
ご訪問ありがとうございます。 お盆も無事終わり、恒例のお墓参りを巡って昨日帰ってきたところです。朝夕は、もう秋の気配を感じますね。 今日は海の砕ける波の音を、どうぞ ! よろしければ、 Youtube を後ろに隠して、聞きながらお読みください。Relaxation Meditation (Sunset Over the Ocean) (22分)Ocean Waves Crashing (7分)波の音には、周波数が高くなると音のエネルギーが小さくなる 《 1/ f 》エフぶんのいち揺らぎ・という 規則性の音と不規則性の音が程よく調和したリズムがあって、 人を心地良くしてくれます。また、耳で聞こえない超音波も含まれていて、 人がリラックスした時に表れる脳波・アルファ波を活性化してくれます。 耳ではなく、皮膚や骨を通して体のなかに入ってくるのですね。 五感以外からも人の脳は刺激を受け取けているなんて! 人間は、もともと自然からの刺激を身体中で受け止めて生きる力を養い、目に見えないエネルギーで生物は生かされ、生命力を与えられていたのですね。あたりまえですが・・・ 子供の頃、毎日裏山の頂上に登り、陽が沈むまで空や雲を見ていた思い出があります。 ず~っと続いたのは、心地よかったからでしょう。 海もそう! 押し寄せる波の音が身体の中を貫く心地よさ。海岸の岩礁に座って外国船の船影を追っていましたっけ。あるとき、満ち潮で岩礁に一人残されて、あわや!(笑い) と、ぞ~っとした思い出もあります。 身近な自然が住宅や工場で埋め尽くされるまで、 生活の周りには自然そのものがありました。 それは、余りにも膨大にありそうで、大事にしなかったもの。 只で無尽蔵、ある事が当たり前と思って、大いに無駄にしてきたもの。 利益のために無視し、破壊し、真っ先に犠牲にしてきたもの。 生命を誕生させ、育む場としての地球の自然=『 陰 』 そのもの。 地球を取り巻く太陽系、その運行そのものが私たちにとっては 『 仁 』そのもの、『 慈悲 』 のはたらきのリズムそのものなのです。 太陽系の運行そのものが変化したら、地球は生物が住めなくなるでしょう。『 仁 』 とは、慈しみ育てる思いやりの心といったものでしょうか。 古代中国の五行学では、 『 木 』 の徳に 『 仁 』 を当てます。植物です。植物は動物と違って手足がありませんから、採って食べようとしても草木は動物のように逃げません。逆に大地に根を張って、" どうぞ私を食べてください " と木が自らの命を動物に捧げているようなものです。東洋学では、この命の糧に、慈悲に通じる 『 仁 』 の徳を与えています。この観察、洞察力が、東洋のすぐれた点なのですね。 私たちの命は、沢山の命の犠牲の上に成り立っています。 言い換えると無数の命に支えられて生きている。 女性が一つの命を孕み、守り、育てる行為も、 『 陰 』 の徳なくしてできません。効率や経済性という 『 陽 』 の価値観からは、程遠い、無限の無駄の上で、命という最上のものは守られているように思います。これが 『 陰 』 の論理です。 本体である陰の 『 仁 』、『 慈悲 』 は、 ある意味、枝葉である 『 陽 』 の、経済性、効率、見栄え、成績、点数、損得などの価値観とは合い入れません。 現代の西洋文明は根底にあるものがキリスト教と聞くと精神文明のように思われる方が多いと思いますが、全くの物質文明です。それの二元論(男と女、自然と人間、戦争と平和など)は対立的(片方が正義であればもう一方は悪という風)に二者を捉えており、戦後の欧米化の洗脳教育の結果、日本はあまりに も中庸を失った現実になっていませんか? 私たちは自前の 『 中 』 ・ちゅう・という東洋的知恵を忘れていないか? さて人間を含む造化の世界というものは進歩向上してやまない。それが「 中 」 であります。現実の矛盾を統一してさらに新しくクリエート(創造)していく働きをいいます。この「 中 」 とは対立するものの真ん中を取るというような単純な意味ではなく、本当の意味はもっと動的な、いわゆるダイナミックな意味をもっております。矛盾、対立、闘争する双方を処理して、総合統一して限りなく進歩向上させるこれが本当の意味です。 ある意味全ての存在は 『 中 』 なしには、常に闘いのなかにあると言ってもいいでしょう。 徳川幕府が、三世紀近く権力を維持することが出来た原因について歴史家の研究によりますと、 (中略) 田舎藩の侍たちが、江戸の都侍に対して立派であったから、あれだけ続き、これは、田舎侍の素朴性が然らしめたものでありまして、この文明と素朴ということは歴史哲学の上からも重大な問題であります。それともうひとつは、女子教育です。これが非常にすぐれておりました。元来武士階級は鎌倉時代から、女子教育に力をいれましたので非常に良い教育が行われておりました。とくに徳川時代には、これが、成功し、実に頭の下がるような女性があらわれました。このふたつが徳川幕府を支えた根本的要素であります。易学の原則に徴しても徳川時代はうまく成功している。その惰力で明治時代はよかった。ところがそれ以降、こういう興亡の哲学という点から見まして、非常に浅薄になり、画一的機械的になりました。そこでいろんなことが乱れてきたのでありますが、一番心配なのは女子教育でありまして、はなはだ残念ながら当を得ていないのであります。今日のような女子教育、女性生活、その文化というものを野放しにしておきますと、日本民族は遠からず衰退するのではないかと、英知に富む歴史家たち、歴史哲学者が皆心配しております。 (これは、昔の封建制度がいいと言っているのではないのですよ。)『 陽 』 に反して『 陰 』 そのものは、経済的にも効率的にも役立たずです。お金に換算したり、数字で計ったり目立ったり表現できない創造の力です。陰の本体である女性が、それをダサいと嫌ったり、目立たなくてイヤだと拒否したり、自らを飾る事ばかりに躍起になったら、、、 男女平等をいいことに、男性と同じ事をするために陽の価値観を身に付けて行ったとしたら、、、、、どうなるの? 女が陰の存在価値を忘れ、陽へと自身の生き方を同化していくようなら、最も尊い 『 陰 』 そのものの創造の力を失い、それが、夫婦なら夫の、家庭なら子供の、民族の、国の、衰亡へと向うということですね~ 宇宙を一つの生命体と捉えるならば、地球も一つの生命体と捉えられます。私たちは地球の中の一つの細胞です。個体のなかで正常に生きていくことができなくなった細胞は、癌化してその個体を侵すか、正常な個体からの排除が働いているのですよ。わかりますか~?青字の部分は、安岡正篤 著の『 易と人生哲学 』のなかから引用、参考にさせていただきました。