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光透波(ことは)の泉【デジタル版】  しあわせの波紋                        

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「お屠蘇」の真意


※「お屠蘇」に秘められた「真意」の3回分を、まとめて掲載しました。



日本のお正月は、イスラエルの新年を祝う「過ぎ越しの祭り」とそっくりである、ということはこのシリーズの前半で紹介しました。

小麦粉で作った酵母を入れない「マッツア」とは、日本の「餅」とおなじであること。

「苦菜」とは、「春の七草」と非常に似ていること。

年末の大掃除や、年越しは徹夜で祝うことも共通しています。

●イスラエルの「過ぎ越しの祭り」=日本の「お正月」

そして、日本のお正月のなかで、ひとつ気になる風習があります。

それは、元旦の朝、お雑煮を食べる前、一番最初に飲む飲み物。



そう・・・「お屠蘇」です!

素人考えでいえば、一番最初に飲むということは、一番大切な風習でもあるのではないか?と。

では、この「お屠蘇」とは、どういう由来があるのか。


「お屠蘇」について、インターネットから、見ていきたいと思います。

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元旦の朝は、家長が新年の挨拶をした後、お屠蘇を神にささげ「一人これを飲めば一家疾なく、一家でこれを飲めば一里なし」と唱えて、年少のものから順順に東を向いて、高蒔繪三つ組のお盆で飲んでいくのが習慣でした。http://www.gld.mmtr.or.jp/~sumiyosi/dentou(toso).htm
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なるほど。
私は、恥ずかしながら、このようなことした記憶がないですね…。
「お屠蘇」って飲んだことないかも。。。です。

では、「お屠蘇」とは、どういうものなのか?

以下引き続き見ていきたいと思います。
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お屠蘇の中身は何だろう?といいますと、6つの生薬からできています。
(最近は大黄をぬいて5つの場合もあります)


防風・桔梗・白朮・山椒・肉桂・大黄です。

防風・桔梗=風邪薬として使われます。
白朮・山椒=消化機能を高めます。
肉桂=身体を温める作用があります。
大黄=排便作用と消化機能の促進として使われます。

以上のようにお屠蘇は、風邪を防ぎ、消化機能を整え、身体を温める作用かあり、正月という寒い季節にかかりやすい病気を防ぐものと言えます。

また、大晦日に井戸の中につるしておく風習もあったようですが、これは井戸の浄化が、目的とされていたようです。

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ふむふむ。ややこしい生薬の名前ですねえ。

では、お屠蘇の起源は?
また、お屠蘇の名前の由来は?

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お屠蘇の起源はと言いますと、漢の武帝の時代、華佗(かだ)と言う名医が発明したもので、日本に伝わったのは嵯峨天皇の弘仁二年(811年)でした。最初は宮中で飲まれていたのですがいつしか広まっていったそうです。

名前の由来は「病気をもたらす(邪)を屠り、生命力、抵抗力(正気)を蘇えさせる」ところからきている様です。
まさに年頭にあたって、病気の予防と、その年の健康を願う行事なのです。

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なるほど。

起源は中国なんですね。

「お屠蘇」の由来も、説得力があり、それで、新年のスタートに飲むのか、と納得してしまいます。


・・・。

しかし・・・ですね・・・。

それで、納得してしまうと、話が終りなわけで…(^^;


ひとつ、常識的に考えれば、「お屠蘇」という名前、けっこう不気味ではないでしょうか?

なぜなら「お屠蘇」「屠」という漢字は、本来、「殺す」という意味があるからです!

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【屠】
(1)さく。動物を裂いて肉をばらす。(2)ほふる。(ア)人を殺す。(イ)牛馬などの家畜を殺す。(ウ)攻めほろぼす。

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なぜ、お正月、しかも、一番最初に飲む、縁起の良いはずの飲み物に「殺す」意味のある「屠」という漢字が使われているのか。

「病気をもたらす(邪)を屠り」と言われると、あ、そうか、と思わず納得してしまいますが、
本来の意味は、文字通り、動物や人を「殺す」ことです。

「お屠蘇」という、よく見れば、ある意味、不気味で不可解な意味を持った、しかし、元旦の初めに飲むものですから、大事な飲み物。

いったい「お屠蘇」には、どういう真意があるのか。

次回、見ていきたいと思います。



<中編>

お屠蘇とは、どういうものか?
前回も掲載しましたが、今回はじめに掲載します。
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元旦の朝は、家長が新年の挨拶をした後、お屠蘇を神にささげ「一人これを飲めば一家疾なく、一家でこれを飲めば一里なし」と唱えて、年少のものから順順に東を向いて、高蒔繪三つ組のお盆で飲んでいくのが習慣でした。

お屠蘇の中身は何だろう?といいますと、6つの生薬からできています。
(最近は大黄をぬいて5つの場合もあります)
防風・桔梗・白朮・山椒・肉桂・大黄です。
防風・桔梗=風邪薬として使われます。
白朮・山椒=消化機能を高めます。
肉桂=身体を温める作用があります。
大黄=排便作用と消化機能の促進として使われます。

以上のようにお屠蘇は、風邪を防ぎ、消化機能を整え、身体を温める作用かあり、正月という寒い季節にかかりやすい病気を防ぐものと言えます。

お屠蘇の起源はと言いますと、漢の武帝の時代、華佗(かだ)と言う名医が発明したもので、日本に伝わったのは嵯峨天皇の弘仁二年(811年)でした。最初は宮中で飲まれていたのですがいつしか広まっていったそうです。

名前の由来は「病気をもたらす(邪)を屠り、生命力、抵抗力(正気)を蘇えさせる」ところからきている様です。
まさに年頭にあたって、病気の予防と、その年の健康を願う行事なのです。

http://www.gld.mmtr.or.jp/~sumiyosi/dentou(toso).htm
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お屠蘇の中身については、他の生薬が使われたり、もっと種類があったりと、いろいろとあるようです。


「お屠蘇」とは、前回述べましたように、「屠」という漢字は、本来、動物や人を殺す意味合いで使われます。

お正月の一番初めに飲むものとしては、この漢字だけを見ると、あまり縁起がいいとはいえません。

これは、どういうことでしょうか…。

何か別の意味がないのでしょうか。


「お屠蘇」とは、お正月の行事です。

日本のお正月とは、イスラエル(ユダヤ)の「過ぎ越しの祭り」からきています。

と、いうことは、お正月の一番最初の大切な儀式も、そのあたりから、読み解けないでしょうか。

「屠」は、訓読みすると「屠(ほふ)る」と言いますが、「屠る」で思い浮かべるのは、古代イスラエルの風習です。

古代イスラエルの人々は、羊や牛を屠り、神に捧げる風習がありました。

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主は臨在の幕屋から、モーセを呼んで仰せになった。
イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。
あなたたちのうちのだれかが、家畜の献げ物を主にささげるときは、牛、または羊を献げ物としなさい。

(旧約聖書「レビ記」第1章1節~2節)
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ここから、
●「屠」=「羊や牛を主に捧げる」
という意味が読み取れます。

そして、問題は、次の「お屠蘇」の「蘇」です。

「蘇」という漢字は、文字通り「蘇り」です。



普通一般に言われる「お屠蘇」の意味は、

「病気をもたらす(邪)を屠り、生命力、抵抗力(正気)を蘇えさせる」

で、十分に納得できます。


しかし、「お屠蘇」の意味を、そのまま文字通りとれば、

●「お屠蘇」=「(殺して)屠る・蘇る」

となります。

「殺されて蘇る・・・」とはいったい、何が殺されて蘇るのか…。


日本のお正月が、イスラエルの「過ぎ越しの祭り」に由来することを思えば、「何か(誰か)」は、明白です!


「蘇」を、漢字破字法で見てみます。
「答え」が、見えてきます。

以前紹介した、第七幕「ΙΧΘΥΣ(イクスース)」 より、少し長いですが、省略しつつ、再掲してみます。

=================================
●「蘇」=「艸」+「魚」+「禾」
    =「艸」+「魚」+「ノ」+「木」



「魚」とは、ギリシャ語で 「ΙΧΘΥΣ(イクスース)」と言うそうです。

以下、インターネットより、少し長いですが、引用して見ます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Ι: ΙΗΣΟΥΣ (イエスース ~ イエス) の 「Ι」
Χ: ΧΡΙΣΤΟΣ(クリストス ~ キリスト) の 「Χ」
Θ: Θ Ε Ο Υ  (セ ウ ー ~ 神 の ) の  「Θ」
Υ:   Υ Ι Ο Σ  (フィ オス ~  子 ) の  「Υ」
Σ: ΣΩΤΗΡ (ソーテール ~ 救 い 主) の 「Σ」

「イエス・キリスト・神の・子・救い主」をギリシャ語で言えば、
「イエスース クリストス セウー フィオス ソーテール」となり、
それぞれの頭文字を並べると、
「イクスース」<魚>の意味になります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここから導かれることは、驚くべきことに、以下のようになります。

「魚」=「ΙΧΘΥΣ(イクスース)」=「イエス・キリスト・神の・子・救い主」

以下、続きを、もう少し引用してみます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この事から、初代のキリスト者たちは、ローマ帝国の厳しい迫害を避け、
迷路のようになっているローマの地下墓地~the Catacombs<カタコム>の中で集会をしたり、礼拝をしていましたが、
集会の場所を示す矢印に使ったり、信者同士の合言葉として、
信者以外の者(官憲)の侵入を防いだりしていました。
また、殉教者たちの墓にも、この「魚」が刻まれたりしました。

AD.313年、コンスタンティヌス帝はミラノの寛容令によって、
キリスト教を公認しましたが、その後も、「魚」は、キリスト者の合言葉となり、
信仰を言い表す事のシンボルとなりました。

今でも、栞やステッカーなど、教会で色々デザインして用いられています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「魚」とは、「イエス・キリスト」を象徴すると同時に、キリスト教信仰のシンボルともなりました。

そうなってくると、今度は「艸」という字が、クローズアップされてきます。

なぜなら、「魚」が「イエス・キリスト」の象徴ならば「魚」+「ノ」+「木」
で、「イエス・キリストの木」と導かれます。

ここで「イエス・キリストの木」と聞いて思い起こすのが、イエスキリストの架かった「十字架の木」です。

「魚ノ木」=「イエスキリストの木」=「イエス・キリストの十字架」!

では、先程の「艸」は、何を表わすのか?

「聖書」の該当部分から引用してみます。
「イエス・キリスト」が十字架に架けられる場面です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。
(マルコによる福音書 第15章16節~18節)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここで、注目すべきは、イエスは十字架刑に架けられた時、「茨の冠」をかぶれされたということ。

よって、

「艸」(くさかんむり)=「茨(いばら)の冠」!!

★全部を繋げると…「蘇」は…★

「蘇」=「艸」(くさかんむり)+「魚」+「ノ」+「木」
   =「茨の冠」+「イエスキリスト」+「ノ」+「木」
   =「茨の冠をかぶったイエス・キリストが架かった十字架の木」!!


もっと言えば、「イエスキリストの十字架での死と、復活」
でしょう。
=================================


★お屠蘇の真意とは…★

漢字には、古代ヘブライ密教の「カバラ」が、秘められているとすれば、
漢字と聖書は繋がります。

なぜなら、聖書も「カバラ」が駆使されているからです。

そして、漢字と聖書が関係してくるとすれば、

「蘇」の象徴するところは、今見たように、明白です。

●「蘇」=「イエス・キリストの蘇り」!!


そして、「お屠蘇」の「屠」

「屠る」とは、文字通り「殺される」意味です。

ということは、
「お屠蘇」とは、「イエス・キリスト」が、「屠られ(殺され)」「蘇る」ということを示している可能性があります。

そもそも、羊や牛を屠るということは、聖書からいえば、

「イエスキリスト」、すなわち、「神の子羊」が、死んで、全人類の罪を背負ってくれたことの象徴になります。

イエスキリストの死によって、人類の罪は許され、生きることができている。

で、あれば、「お屠蘇」とは、まさに、そのことを意味していることになります。

元旦、最初に飲むということは、一番重要なことであり、そこに、イエスキリストの死と復活が象徴的に込められているということは、誤解を恐れずにいえば、

日本人は、イエスキリストとは無関係ではない!

ということになってしまいます。


日本人は、知らず知らずのうちに、元旦の朝、お屠蘇を飲むことで、イエスキリストの死により、人類の罪が許され、今生かしていただいていることを感謝し、
イエスキリストの死と復活を、祝福しているのかもしれません…。




<後編>


少し間が開いてしまいましたが、「お屠蘇」の「完結編」にしたいと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●「お屠蘇」=「(殺して)屠る・蘇る」

●「蘇」=「艸」(くさかんむり)+「魚」+「ノ」+「木」
   =「茨の冠」+「イエスキリスト」+「ノ」+「木」
   =「茨の冠をかぶったイエス・キリストが架かった十字架の木」!!

●「蘇」=「イエス・キリストの蘇り」!


よって、
●お屠蘇=イエスキリストの死と復活!

●日本人は、元旦の朝、お屠蘇を飲むことで、イエスキリストの死と復活を、祝福している!?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

元旦の朝、一年のはじまりの時に飲む「お屠蘇」というのは、邪を「屠り」、生命力を「蘇させる」という意味がある、といわれていますが、
これは、あくまで、表向きの意味合いだと思われます。

漢字には、ヘブライ密教の「カバラ」が込められていること。

そこから、「蘇」という漢字が「イエスキリストの復活」を象徴すること。

日本のお正月は、古代イスラエルの過ぎ越しの故事からきている「過ぎ越しの祭り」とそっくりであること。

そういったことを考え合わせれば、「お屠蘇」の裏に込めた真意は、明確に浮かび上がってきます。

おそらく間違いないでしょう。


そこに、「イエスキリストの死と復活」が込められているということは!!

であれば、これはある意味、恐ろしいことなのですが、日本人は、それと知らずに、元旦の朝、「お屠蘇」を飲むことで、イエス・キリストの死と復活を祝福しているということになります…。



今度は視点を変えて、お屠蘇について、「音に返す」から、見てみましょう。


★「お屠蘇」=「お十蘇」★

●「お屠蘇」=「おとそ」=「お十蘇」

「お十蘇」とみれば、「十」の「蘇り」となります。
「十」とは、「十字架」であり、イエス・キリストの象徴にも繋がります。

「十蘇」とは、「十字架での蘇り」となり、やはり、「イエス・キリストの死と復活」へ繋がります。


★「お屠蘇」=「御屠蘇」★

「お屠蘇」は、「御屠蘇」とも書きます。

「お」=「御」ですが、

ここから、先のように、「屠」=「と」=「十」とみれば、
「御屠蘇」=「御十蘇」ともできます。

さらに、
「御」=「ゴ」=「五」と音に返すことができます。

●「御屠蘇」=「五十蘇」

「五十蘇」とは、「五十」の「蘇り」です。

「五十」とは、あいうえお五十音であり、五十音の蘇りをも、示唆しているのかもしれません。

さらに言えば、何度か取り上げたように、五十音とは「あ」~「ん」までの言葉すべてを含み、最初から最後までということになります。

このことは、聖書で、「私はα(アルファ)でありω(オメガ)である」といった人物、イエス・キリストの象徴にもなります。
αは最初であり、ωは最後の文字になり、五十音の「あ」と「ん」に対応するからです。

つまり、「五十」という数理は、「あいうえお五十音」を象徴すると同時に、「イエス・キリスト」の象徴にもなっています。

●「御屠蘇」=「五十蘇」=「五十音蘇」=「イエスキリスト蘇り」!!

やはり、イエス・キリストに結びついてきます。

そもそも「お屠蘇」=「御屠蘇」であれば、
「御」という漢字は、漢和辞典を見ると、真ん中の部分が「午」「止」から成っていることが、分かります。

「午」とは、「馬小屋で生まれたイエスキリスト」の象徴になりますので、「午」が「止まる」となり、
「御」という漢字が、「イエス・キリスト」と無関係ではないことが分かります。

さらに言えば、「御」を音に返せば、

「御」=「午」=「吾」となり、すべてイエスキリストに関わる漢字になります。

「吾」などは、そのまま「吾」=「五」+「口」=「五口」=「五○」=「五十」となり、
「吾」が、「五十」という数字を暗示していると思われますので、「五十」とは「五十音」であり、「イエス・キリスト」です。

ですから、「御屠蘇」=「イエスキリスト・屠る・蘇り」となり、
「お屠蘇」という名称には、イエスキリストの死と復活が、それこそ何重にも込められている、と見ることができます。



★「三」という数字★

インターネットよりの引用
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当時は、生薬を家々で調合して三角袋に入れ、大晦日に井戸に吊しておき、元旦に若水に浸したあと、お酒に入れたそうです。
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「三角袋」にというのが気になります。

さらに、「三」という数字が、まだ、出てきます。
こちらの方が重要と思われます。

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「その時、使用される器は朱塗りまたは白銀や錫などのお銚子と朱塗りの三段重ねの盃です。」
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お屠蘇.jpg

「三段重ねの盃」の「三」

日本の風習などをみると、何気なく、「三」が込められています。

なぜ「三角袋」であり、「三段重ねの盃」でなければならないのか。

結論からいえば、「三神」を拝する形式が、日本にはもともとあるから、ということだと思われます。

結婚式などで、行われる「三々九度」の儀式も、しきりに「三」が出てきます。

「万歳三唱」など、まさに「三神」との関わりが考えられます。

「三神」とは、日本の「古事記」の冒頭に記されている「造化三神」
「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」「神産巣日神(かみむすびのかみ)」であり、

同時に、「聖書」でいう「絶対三神」「御父」「御子」「聖霊」ということになります。

日本の「造化三神」と、聖書の「絶対三神」は、本質は同じ神のことになります。

なぜなら、聖書の思想と、日本の神道の根幹は、同じ思想を持つ集団によって作り上げられているからです。

日本という国は、知らず知らずのうちに、「造化三神」=「絶対三神」を拝する風習が、いたるところに見られます。

お正月の「門松」も、三本の柱から成り、ヘブライ密教の奥義でもある「生命の樹」の象徴であることも指摘されています。

日本という国と「三」という数字、非常に興味深いものがあります。




長くなりましたが、最後にまとめてみます。


●お屠蘇=イエスキリストの死と復活を祝福する

●お屠蘇を「三段重ねの盃」で飲むということは、「絶対三神(=造化三神)」に対して、祝福している。



明確に言えば、日本人のルーツのひとつは、古代ヘブライ民族である、「失われたイスラエル十支族の末裔」になります。

もうひとつの流れが、イエスの死と復活を見守った「エルサレム教団」の「原始キリスト教」の末裔が、日本へ来ていることが指摘されています。

「原始キリスト教」とは、イエスの弟子たちを中心に組まれたイエス直系の教えを受け継いだ集団です。

つまり、信じられないかもしれませんが、イエス・キリストの思想は日本へ受け継がれているということになります。

彼らの正体は、「秦氏」!

秦氏の「秦」を漢字破字法で分解すると、

●「秦」=「三」「人」「ノ」「木」となり、
まさに、三本柱からなる、生命の樹の象徴を冠した名前であることが分かりますし、三神との関わりが深いことが分かります。



「お屠蘇」の風習には、はじめからか、途中から組み込んだのかは、分かりませんが、
いずれにしても、イエスの死と復活が込められているということは、そこには、古代ヘブライや原始キリスト教の思想が、あるということになります。

このことは、単に、文化が伝わった、というレベルの話ではないということでしょう。
「お屠蘇」に、「イエスキリストの死と復活」の意味が込められているとしたら、それらは、日本の根幹部分に関わっていると考えた方が、自然です。

そして、日本人自身も何のために受け継いでいるのか分からないように、古代ヘブライ密教のカバラで、象徴的に本来の意味を封じ込める。

日本の本当の姿は、いたるところに、それとなく象徴を重ねて、仕掛けられているということがいえると思いますし、その封印は、象徴という鍵を残して解かれるようにもなっているので、
時が来れば、いやおうなく日本の真の姿は、明らかになると思われます…。




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