大地に根を伸ばす~グランディング~
長いこと、自分の足元が弱いことが気になっていました。 体は丈夫です。精神的な支え、という意味での「根」のことです。 グランディング です この悩みが自分だけのものかと思いきや、なんだかこれは私たち世代全体に共通して感じられるものでもありそうな・・・ 地に足つけて生きること、現実に立って具体の中で、日々の生活をつむいでいく幸せ。 ずっとそれらは、すごく遠くにあるものでした。性格もありますが、特に私はこのグランディングが弱いことで、なかなか自信をもって生きることができずにいたのでした。 自分に根がない、と気づいたのは何をやっても流れていってしまう空しさを感じていた30代の頃で、丁度離婚して大きな転機を迎えており、私はこの大地と改めてむすびつくことを真剣に考え始めたのでした。 その頃の私は、あらゆるものを頭で否定しつづけ、自由と言うのは名ばかりの、何にも結びついていない一枚の紙の凧のようなものでした。 戦後の高度成長期に育った世代で、ものはどんどん増えてお金は手に入りながら、目に見えないものが徹底的に排除されて行った時代でありました。 親たちの世代はそれこそ馬車馬のように働いて働いて、それをありがたいと思いこそすれ、責めることなど出来やしません。 でも気がついたら、古来ずっとつながって来ていた大切な日本人の智恵や、家族の思いや大事な絆と言えるものまでがそこで切れてしまいました。まさに、母の世代と私の間で切れてしまったのだと気がついたのは、30代も後半でした。 何をしても満足しない欠乏感。何があってもまず欠けたところを見つけ、批判の目から入ってしまう癖。素直に受け止めることのできない天邪鬼、それらにずっと悩まされながら、突破口を探そうともがき続けました。 ありとあらゆることをやり、自分を模索し、標本にしてみたり、いじったり、深く探索したりしました。 私って、結構ヤバイな。地に足がついていないんだ・・・と気がついた時、もう息子は中学になっていました。 片親。祖父母がサポートに入ってくれていましたが、基本的には父親と母親の役目を私。まぁこれも息子の運命と腹をくくり(子供は親を選んで生まれてくる、という話にはずいぶん助けられました 笑)さて。 自分のことだけ心配している訳にはいかない!と、再入学した大学で一から学びなおしつつ、自分の根を張りつつ。同時に息子へ伝えるというかなりのアクロバット的な時間を過ごしました。 そしてじたばたしている内に反抗期&思春期まもなく大学受験・・・はやいなぁつい先日、生まれて来てありがとう!と喜んでいたような気がするのに 子育ての時期は加速度的に過ぎていきます。 そして、この夏。 まだグランディングの浅い私に似て、息子はとても繊細でやさしく、電気製品には滅法強く、座ってやる作業はまかせとけ!の面あり、同時にやはり足元が弱い。忍耐力や精神力、腹に力をこめられず、長時間まっすぐ座っていられない。姿勢が崩れやすく、こらえ性がなく飽きっぽい所を感じさせる、極めて今風の少年になっていました。 そこで登場。母は太極拳の先生です。日々、鍛錬を重ね、気を練り丹田に気を集め、技を磨いて多くの人にそれを伝えています。 夏休みが始まる前、母にお願いしました。 息子(彼女にとっての孫)の地に足をつけるために休みの間、サポートをお願いしたい。 そして、毎朝。大声でねぼけた息子をたたき起こし、へそを曲げたらご機嫌を取り、叱り、たしなめ、毎日毎日が飴とムチ・・・ へとへとになって今日を一応の最終日とし、修行を(笑)修了しました。 休み前とどう変わったかと言えば、見た目はそんなに変化はありませんでしたが(効果は後から見えてくるものですが)、マンツーマンで教えてもらったおかげで、立ち方や呼吸法、バランスのとり方、ストレッチをする姿もなかなか板についてきたような気がしました。 私が、グランディングが出来なくてたいへんに苦労したことを受けて、母と私の間で切れた流れが、私を越えて息子につながったような気がして、実はたいへんうれしく感じています。 悲観論でも、自虐でもなく、とっても素直に思うのは、一面、自分は流れから切れてしまった失敗作だなということ。(それはそれでOKです) でも、一度は大きな流れから切れてしまいましたが、私は独自に自分で根を張る作業を30代から始め、それはまだ浅いものですが独自のものであるという自覚と誇りはあります。 しかし、つきつめていけば、その流れとて同じひとつの大きな河なのだろうとも感じます だから母とも微妙な距離がありますが、これはもうこういうものだと自覚しています。 でもこうやって、まだ細い糸のような流れですが、世代を飛び越えて大事なものが祖母から孫へとつながっていく・・・これで少なくとも息子は私よりは「生きること」に対して、直に楽しめる回路が出来たかな、と感じるのです。 ほっ・・・ そして彼は私という母もいて、私は地から得るものすべてを彼に伝え(たぶん自然行くだろうと思います)、とすれば彼はふたつの世界への根を獲得出来る・・・そんなイメージも湧くのです。 壮大な話になりましたが(軽く書くつもりでした 笑)、こうやって無事夏休みの終わりを迎えられてうれしく思います。先日の浄化の大喧嘩も総仕上げのようなものでした。 今晩、ゆく夏を惜しむ会(暑かった~夏を愛しむ会)を友人としますよくやったぞ!私たち。そんな同世代の私たちも、それなりにがんばっていること。とても誇りに思っています 昭和30年代生まれの皆さん。大好きよ