山に登る
たとえば山を登る時、自分の物事に対する反応パターンがとってもよくわかります 奈良の三輪山は私にとって原点の大切な山で、今まで30回くらい登拝したでしょうか。 まず、いきなりの急な山道をいきおいよく登って、5分で息が切れてすぐ後悔します。 (ひゃあ~もうあかんやん。やめときゃよかった) しかし、そう言いながら私は止まりません。そのまま登ります。 ぶつぶつ言いながら。 そして途中で楽しくなって、太陽や風や空を見上げ、その美しさを感じます。 川のせせらぎや沢ガニを発見したり、苔の美しさ、枯れ木のオブジェに感動したりして、絶対歩みは止まりません。 好きで始めたことはやめません。最初に文句を言うのは、癖のようです。やっとそれに慣れて、勝手に言わせています。 (文句言ってもやるんだあたしゃ) それがわかって、ずいぶん気持ちが楽になりました。 山道で人とすれ違い、道をゆずり、時にゆずられます。 挨拶を交わし、ようおまいり~♪と地元の方に歓迎されたり、あとどれくらいですかと必死の形相の方に聞かれたり、もう少しですよ~とあえて時間を言わずに励ましたり、以前は励まされたりして。 なんだか、人生そのものです。 初期の頃は黙々と歩き、自分は山を歩いているのか、次元の違う夢の中を歩いているのかわからなくなると言う神秘体験のような精神状態になりました。 そうなることが目的で歩く時期があって、実際、よくそうなりました。 今は、どちらでもよくなっています。 神秘体験があってもなくても、この場所は十分に崇高なすばらしい場所であり、私たちに向かって開いてくれている聖なる場所であるのだと、何はなくとも深く実感しているのでした。 だから逆に、日常的に出会う人々や山の中の自然との出会いが、そのまま神秘体験のような気がします。 生きている私たちが、ここで出会う。神秘。 偶然、この場所で蝶々と出会い、初雪となった。神秘。 たった一人でご神体のイワクラの前に立つ。神秘。 今、生きている。まさに神秘、です 新しい仕事の準備のために、相棒と友人宅を訪問し、依頼された空間の整理整頓をして美しくしています 今日は、5時間めいっぱいかけて、やっと台所が8割終了しました。課題が見え、学びは深まりました。感謝です やりながら整理が得意でない自分が、よくぞ・・・と思いつつ、学びは深く、新しい仕事にドキドキハラハラの緊張しっぱなしです。そして、お定まりで、いろいろ「理性」がいっちゃもんをつけてきます (自分の部屋はいいのか~?)(本当に出来るのか?)(止めた方がよくないか~)・・・等々。 でも。つまるところ、やるのだ~私は と言う訳で、ゆるゆるやっています。 新しい仕事の名前&内容が決定しましたらご紹介します。 サイトもリニューアルを思案中です。新しい流れには、新しい空間が似合います。 ドキドキハラハラしつつ、新しい山に登り始めました