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カテゴリ:瑠璃光記
まつりの語源は「祀る」もあるし、「待つ」の意味もあります。神がやってくるのを、自宅でひっそり待つのが昔の習わしでした。お正月の初詣で、自ら神さまのいる社に参る初詣も、実は歴史は浅いものです。 人は、じっと「待って」いたのでした。未知の神を、来訪する神を、降臨してくる神々を。 ふと。 「待っている」ことと、「舞っている」ことは同じかも・・・と気がつきました。 舞いは、神を誘(いざな)い、呼び込む動作です。だから手のひらを内側にむけるようにします。沖縄の宮古、伊良部島のお祭りで女性達が海に向かっておいでおいでと呼んでいました。そのやわらかな曲線、たおやかな動きはまさに女神のもの。同じトーンで彼方の海から来る神をいざなっているのだと感じました。そして足はしっかと大地の上、動きませんでした。 これこそ神事の本質かもしれません。 神話のアメノウズメは、桶の上で舞いながらアマテラスをいざない、扉を開かせました・・・開いたのではなく、「開かせた」のです。彼女はただ、桶の上で舞い続けていただけでした。 ひと ふた みぃ よぉ いつ むゆ なな やぁ ここのぉ たり もも ち よろず そして周りを囲む八百万の神々が和して謡います あはれ あなおもしろ あなたぬし あなさやけ おけ 自ら動いて強引に扉を開くのはとても西洋風なイメージの神(^m^) 待ち、ひたすら待ち、自分の場所で自分の仕事だけを淡々としているのが日本の神。 祝詞は祓い清めていきます。厄とよばれるものを祓い、清め、かわし、除けていきます。相手をつぶし、全面否定していくことはしません・・・これは前々から感じていますが、素晴らしい日本の智恵だと思います。 舞いは神を誘いますが、踊りは自分の中に神が入り、神が喜びを表現する様をいうとか。 まさに阿波踊りは神の世界そのもの。舞いも踊りも渾然一体となって阿波踊りの晩はあの場所、あの空間、あの次元が広くひらききって、神の世界が現れるのでしょう~そのビジョンが浮かびます。 そして、4月にはじめて伺って感じたのは、四国という霊場をあの場所全体のレベルで祓い清めていくために、阿波踊りがあの時期にあの場所で設定されたのかもしれないと。これも空海さんの深い策を感じます。鳴門の渦。人のエネルギーとうねり。天と地をつなぎ、ひらく祭。大きな大きな宇宙レベルの呪術でしょう。きっと^^ 鉄の橋が本州と四国をむすび、時期は来ました・・・一体何が起きようとしているのかしら?この時期に、阿波踊りに参加出来るとは本当にラッキーなことです もうひとつ。 昔から神の降臨する神聖なる樹木のひとつ、松。すなわち「待つ」です。 待てば海路の日和あり・・・・きっと よいタイミングで昨日から体調を崩して寝込んでいます(笑)でもきっとこれも自分の固い理性や思い込みの殻を破るために、自分が計画した体調不良かもしれないと思います。なんだかガードが出来ないでちょっと気弱です(爆)謙虚にかえったのかもしれません。 だから素直に「はい」と言えます おっと。そう言えば「はいっ」て受けとめますが、それは「拝」であり、「杯」の器なのでしょう。この返事も呪術めいています。日本語は言霊の国ですね~♪ (イエス・・・これも肯定の度にイエス様を呼び出しているようなものですね) いつものように書きっぱなしにて失礼しま~す 読んでいただき感謝感謝です お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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