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カテゴリ:瑠璃光記
涙腺が弱まると、心も身体全体もなんだかふにゃふにゃしたようで、不安定極まりありません。 でも、きっとそうやってゆるゆるこぼれて、どんどん変化が促進されていくのかもしれません。だから、変化の前のこの不安定さは、当然のものなのでしょう。 「泣く」の字は、なぜ「さんずい」に「立つ」なのかしらん・・・「号泣(ごうきゅう)」で、「きゅう」と読んだりまたは、「りゅう」と読んだりもするそう・・・ならば、素直に「流」や「龍」を思います。「粒」も。水のちから、です。 ぼ~っとネットを見ていたらこんな言葉が・・・ 「涙とは海に戻ると書く」 そうか~海から生まれた私たち。泣いて涙を流すことで、「水」に「戻す」・・・自らが海に還るのかぁ。 そして生まれ変わって来るのだな。 「泣く」は「鳴く」ことと同義語。 外に向かって「鳴く」ことが「泣く」こと。 その結果、内にあったものが「無く」なっていく。 自らの水(涙)によって、自分の内側の感情やエネルギーをほとばらせていく。 「泣く」ことで、ナッシングにして「無し」となって、からっぽになるのでしょうか。 または、それが「為す」ことに転ずるのかもしれず。 何も無くなった空間こそ、何かが生まれ、何かが為されるための舞台となるのなのかもしれません。 何もない空間。 友人が能をやっています。いつも舞っている目黒の能舞台を思い出します。 そういえば、宮古島の、祭りの宴の場所となるウタキも、普段は風の通り抜けるあっけらかんとした、何も無い空間でした。 今回大泣きしたことで、自分の中のそうした空間を、ふっと感じました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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