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ことりんのスマイル

ことりんのスマイル

ICU~脳外科病棟

「ICU~脳外科病棟」




ICUには1週間ほど滞在。
初めはモルヒネ使ってドルミカムでセデーション(※鎮静)をかけて…としていたので目覚めは悪かったけど、少しずつOFFにしていくと、段々暴れ始めたり泣いて何かを訴えるようになったり、と動きが出てきた。
ICU3日目のお昼に挿管チューブを抜管。そうすると「抱っこ」と言ったり「ごはんたべたい」と喋るようになった。
4日目には抱っことベッドの傾斜が30度までOKの指示がDr.から出た。
6日目にはNG(鼻管)から栄養の注入開始。初めは赤ちゃん用イオン飲料のアクアライト。

そして8日目の9月18日にICUから脳外科の病棟に戻る事になる。
ICUから出られる状態になったのは嬉しい事だけど、ICUには知っているNs.もいたし、安心して預けられる感があったので、病棟に戻るのは少し不安。
出来るなら以前から慣れている血液の病棟に移して欲しいとお願いしているものの、Dr.にはOPE後の管理は脳外科の病棟の方が慣れているから、体力が回復して今後の補助療法の指針が決まったらね、と言われる。
脳外科の病棟は「外科系!」って感じでバタバタしていて小児がんのようなメンタルケアにも重きを置かなくてはならない病気にはあまり向いてない病棟、という感じで私はあまり好きではないので、早く移動したいなぁ…。

翌日、MRIを撮ってOPEで摘出した腫瘍組織の生検の結果のムンテラを受ける。
MRIの画像上はひとまず確認できる腫瘍は見当たらなかった。
生検については、初発の時とほぼ変わりなく「上衣腫のグレード1~2」という事だった。
この結果を踏まえて今後の補助療法の選択を考える事に。
色々考えたけど、ここは気分を変えて全く面識のない先生に意見を聞いてみるのもひとつの手かな、と思い、セカンドオピニオンを受けてみる事にする。
27日に築地の国立がんセンターのS先生というDr.にお会い出来る事になった。


それはさておき脳外科病棟に戻ってからは、どうもICUからの送りとか、受け持ちから受け持ちへの送りとかがちゃんとしてなくって、もうICUにいた内からDr.に許可されている事なのに「まだダメでしょ?」とか言われたり、すべき処置を忘れられてそのままになっていたり、と二度手間がかかる事が多くて正直げんなりだった。
この病棟にあまりいい印象がない私なので、穿った見方をしてしまっているところもあったかもしれないけど、それにしても「それはないだろ」と言う事が多かった。
何度もDr.にも訴えたし、正直この頃はDr.にもウザイと思われていたと思うけど、他の患児のお母さんが何も言わないのが不思議なくらいだった。(直接訴えたってお母さん、一人しか聞いた事なかった。)
だって、熱が高い時とか、「熱さましどうしますか~?」って私に聞くのよ?
それ、あなたが判断してDr.に指示もらうものじゃないの!?って話しじゃない?
何日か様子みて、でもガマンならなくて師長さんにも言った。師長さんは私は嫌いじゃなくって、申し訳ないなとも思ったけど、色々話し切って、最終的には師長さん泣かせてしまった…(汗
師長さんは「本当にイヤな思いさせてごめんね」って言ってくれていたけど、師長さんが悪いわけではないしな。。確かに統率力みたいのもあるんだろうけど。
だから「師長さんが悪いって言っているワケじゃない、でもウチは命を預けている以上は納得した看護を受けたいから、そういう事がかなう病棟に移りたい」とお願いした。

琴音の体自体はまあまあ順調で、病棟に戻った日から注入の栄養が「ラコール」に変わり、OPE後なので熱が続くものの特にトラブルはなく、24日には半抜糸になった。



ちなみにこの頃リアルタイムでUPしていた日記はこちらこちらこちらこちら


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