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ことりんのスマイル

ことりんのスマイル

インフルエンザ~退院

「インフルエンザ~退院」






1月20日(chemo終了翌日)
血算W:2700 Hb:10.8 Plt:19.6

1月21日午後~1月22日昼まで外泊。
気候も寒く、感染症も心配な時期なので、家の往復以外は外出はなし。

1月23日
血算W:1100 Hb:10.2 Plt:8.0

骨髄抑制が大分出て参りました・・・。
その上前日あたりから軽い風邪の症状があり、この日「われかけたまご」と呼ばれる軽い感染症状有認定を下される・・・。
大部屋に入っていたので、伝染を防ぐ為に同じく「われかけ」認定の同い年のお友達と2人で個室に入る。

1月24日
血算W:500 Hb:10.0 Plt:6.3
ノイトロジン1日1回投与開始。

骨髄抑制が更に増強。
WBCが1000未満に落ちたので、部屋にアイソレーターを入れ、「にわとり」と呼ばれる軽い隔離状態に。
私が面会に入った時から琴音の元気があまりないなぁ、と思っていたら、午後になって熱発。
おやつの時間を過ぎる頃には38.0℃を突破。
2人部屋だったので、個室に移される。
それから念の為もう一度採血をし検査をしたところ、なんと・・・

インフルエンザA型(+)判定 orz

うそでしょ~!?
WBCが500しかないのに、大丈夫なの?((((;゜д゜)))アワワワ
っていうか昨日や一昨日同室だった子は大丈夫!?
どこでもらったの?外泊?病院と家の往復しかしてないのに・・・。

えー、そんなわけでとりあえず感染厳禁の血液病棟にはいられなくなってしまい、厳重な感染予防の必要性は少ない眼科や整形の病棟に移動して、個室隔離になる事に。
それから用意された個室が病棟の一番端のナースステーションから離れた場所
の為に、ひとまず1日~2日・状態の落ち着くまで、泊まりをする事に。

夜になって病棟を移動し、個室はアイソレーターにカーテン、ガウン着用、オムツの処理や物品の消毒も全部個室内で行う厳重装備。
インフルエンザの救世主「タミフル」も早速開始。
それでも、本人の全身症状が思った程は悪くないのが唯一の救いかな・・・。
そうはいっても、骨髄抑制の強い時に重大な感染を起こして肉体的には最悪な状態の為、更に別の感染を合併するリスクを回避する為、先回りしてセフェム系抗生物質の「ブロアクト」を投与開始。1日3回。

夜は私も折りたたみ簡易ベッドで琴音の隣で就寝。
私まで感染してしまわないように気をつけなければ。

1月25日
血算W:500 Hb:9.8 Plt:3.5 CRP:1.3

WBCは変化なしなものの、プレートが大分減った為、濃厚血小板輸血が入る。
琴音は前日同様、そんなにぐったり・・・という感じではないかな。
夜は母に来てもらって少しの間付き添いを交代してもらい、一度家に帰ってシャワーを浴びて出直しする。


1月27日
血算W:1100 Hb:9.5 Plt:7.4 

WBCはノイトロジンのおかげか少し落ち着いてきた。
本人の元気も大分出てきて、とりあえず自覚症状は咳・鼻程度に。
部屋もナースステーション隣の個室が空いてそこに移動になったので、私は夜の付き添いが不要に。
とりあえずこれで後は飛沫感染の恐れのある咳なんかが落ち着けば、血科病棟に戻れるよう。

1月28日
病棟元に戻る。

1月29日
ノイトロジンSTOP タミフルSTOP

1月30日
血算W:1800 Hb:9.7 Plt:8.9

骨髄抑制もかなり回復。
2日後には感染・肺炎予防の「ファンギゾン」「バクター」がSTOPに。

これで今回の入院で予定されていた治療は全て終了。
MRIで評価をして、WBCが完全に回復してからIVHカテーテルを抜去すれば退院になる。
MRIは2月6日に撮る事に。


2月4日
琴音が始めて入院した時に同室で、琴音と同じ上衣腫で歳も同い年だったお友達が再発闘病の末、空に還っていった。
初めて出会った同じ脳腫瘍の子でとても印象が深かった子なので本当に悔しい。
夜面会後に、脳外仲間のママと自宅に寄らせていただいた。
とても可愛い、眠っているような顔だった。

2月6日
10:30~MRI
結果は特に変化なし。
ガンマナイフ治療部位は、何となく薄くなってるかな~という感じ。

2月8日
お友達のお通夜へ。
子供の葬儀は本当にイヤだ。

2月13日
血算W:2000 Hb:11.1 Plt:23.1

所用で先に面会に行ってもらっていた母からTEL。
WBCが2000代に戻りDr.の手が空きそうという事から午後から急遽IVHの抜去を行う事になったという。
ただし正確な開始時間が分からなくて、Dr.の目途がつくまで連絡待ち。
その後セデーションかけて処置をするよう。
おかげでおやつはおあずけで食べられないし・・・。

まだかまだかと待ちくたびれた頃Dr.がやってきて、
なんかもう面倒なのか時間短縮のためなのかwセデーション抜きで、処置を行う事になってしまった。
3歳児にセデーションなしって大丈夫なのかな~。
案の定処置室からは大きな泣き声。
清潔の為処置部位以外全部隠してやるのよ、これが。
だから顔も見えないし、相当な恐怖なんだと思う。
それでも何とか頑張ってくれて、局所麻酔のみで抜去が出来た。
そのおかげで終わった後はすぐにおやつも食べられて、ごきげん回復。

これで本当に治療の全てが終了。
今日明日と病院で様子を見て、抜去した縫合部の包交を行ったら本当に退院。

そして
2月15日
5ヶ月間の再発治療が終わり、無事退院に。



―この後も闘病記は続きますが、ここからの約1年間は多分琴音にとっても私達にとっても、一番安らかな時間だった気がします。
維持療法・ガンマナイフ治療はあったものの、一番普通の生活が送れた時期でした。
外で遊んで、買い物行って、お出かけして・・・
私も再婚はまだでしたが、ほぼ親子3人家族の状態で生活していました。
普通の家ならそんな生活が当たり前で普遍のものなのに・・・。
どうして私達には、それがたった数年の「特別な生活」だったんでしょうか。





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