原発事故後~3月下旬の状況
2011年3月下旬の我が家の様子原発事故後、連休にかなりの量の雨が降り続いた各研究所の放射線量をチェックすると雨が降る前より上昇しているきっと水もヤバイはずと思っていたので子供たちが口にする飲み物や食べ物は、出来るだけ水道水は避けるよう気をつけていた数値が高い時だけ、そうしたが、後は気にしていないというか、気にしすぎたら生活できない予想通り、規制数値を上回ったニュースが東京で出てしまった当然、東京以外も可能性はあると思っていたら予想通りの結果だった我が家の水源の範囲では、規制値を上回った日はなかったがやはり連休の雨天後の数値は急上昇し5月16日までは、放射性ヨウ素か放射性セシウムのいずれか、もしくが両方が出続けていた以降、今日(5/27)までは検出されていない雨が降り始めた前日までに、ミネラルウォーターを買っておいて正解だった震災後は、暫く水の入手に苦労したが混乱もなく制限もなく水が購入できるように、ようやくなった頃だったのにまたもや、あらゆる店舗から水が消え去った都内に比べたらパニックにはなっていないように思えたが皆、ペットボトルのお茶をガンガン購入していたこうした水の放射性物質の数値が少し高めだった数日の間重度の花粉症の私が毎日飲み続けていたべにふうき 茶を飲むことをやめたそうすると花粉症の症状が少し出てしまいべにふうき 茶の花粉症の対する効果を実感したスプリングサポートも併用していたけどそれぞれの効果を実感しているので来年の花粉シーズンも手放せないと改めて思った色んな理由もあって、自宅に留まった我が家だが子供たちは、ストレスが溜まる落ち着かない日々だった様子やはりケンカは絶えなかったし原発事故前より、ケンカの程度も大きくなっていたTVで悲痛なニュースばかり見ているのは子供たちへの影響は良くないと感じていたので震災や原発関連以外の番組をあえて見るという風にすることが増えていた図書館が暫くして再開したのは幸いだったでも、2か月以上経った今も、2時間短縮で閉館するように変わった節電のためだかわいそうだが、外では遊ばせてあげることも出来ない外で遊んでいる子は滅多に見かけなくなり公園の様子は、原発事故前とは一変した11日の震災以来、学校に来ていない子もいたし一緒に学校に行く子も、次第に減っていく状態だった24日の修了式後は子供たちの気配が周囲の住宅から消え去ってしまった実家が県内の家庭は、非常に少ない地区という理由もありほとんどの家庭の母子は、実家に帰っていたので自宅のごく周囲の狭い範囲だけでも50人以上も小学生がにいるのに本当に全く見かけなくなった野菜の出荷量全国2位の茨城県と、3月末のニュースで聞いたそんな県内産の野菜が、一時は店頭から消え去り店舗の努力と思うが、全国の色んな産地の野菜が並んでいた牛乳も同様だった暫くすると、茨城県産!復興支援!とポップがズラリ一気に、県内産の野菜が増大・復活産地は町名まで記載された状態で店頭では野菜が売られるように変化した主人も平常時とは異なる職場状況と刻々と変化するニュースにストレスも頂点に達した様子だったので震災後、夜に出かけることはなかった我が家だが3月27日の日曜の夜に、車で周辺をウロウロしてみたこの頃は未だ、ほとんどの店舗は営業時間縮小もしくは再開未定一番驚いたのは、道路が真っ暗だったこと場所によっては、自分の自動車のライトだけが頼りの大通りもある20個程度に1個だけ街灯が点いてるのは普通平常時も暗い街が一段と暗くなっているこれは、2か月経った現在でも同様の状況である色んな店舗が、空調や明かりの節電をしていてどの店舗も薄暗いのには慣れたが店舗内や電車内が、外より暑くて息苦しいのは、けっこうシンドイ計画停電からは免除されても、全域で節電に全力をあげていた退避しないで、留まっていたのでこうした様々な変化に1つ1つ驚きながら過ごしていたやさしい暮らしTOP