ここのところ、仕事上のトラブルが続き、家の中でもいろいろ嫌な事が続いてて、
日記なんて書いたらまともに読めなくなってしまうので、ちょっと話題を変えて・・・
マンガ、「修羅の門」。
自分って、大袈裟ではなくテレビもマンガも雑誌も読まない。
会社から帰ってくると、テレビのある部屋は子供たちが寝てるので、テレビは見られない。
だから、せいぜいネットでニュースを見るくらい。
マンガやドラマは、「続きを読んだり見たりすることができない」から、読まない。見ない。
(“キライ”ではないんだけどね・・・)
だけど、昔ひょんなことからこの「修羅の門」を読んで、ものすごく熱くなった。
でも、単行本を揃えるでもなく、月間少年マガジンを購読するでもなく、中途半端に単行本を数冊見ただけ。
先日仕事の都合で「ネットカフェ&マンガ喫茶」で仕事したとき、また修羅の門を見つけて数冊読んで、またカラダが熱くなった。
で、(イホーだけど)、ファイル交換にてデータを全てダウンロード。
数日前に初めから最終巻までようやく読み終わった。
あらすじを書いてたらページが足りないんだけど、「陸奥圓命流」という闇の格闘技(と言うより殺人のための流派)の最期の継承者、陸奥九十九が、その陸奥圓命流で日本の、そして世界の格闘技と闘い、地上最強の格闘技である事を立証し、そして、自分の代でこの陸奥圓命流を終わらせようとしている。
日本で異種格闘技戦で優勝し、アメリカに渡って、ボクシングのヘビー級チャンピオンとなり、ブラジルに渡って、ヴァーリトゥード(Vale Tudo)に挑む。
そして、そこでも優勝。
が、そこでいきなりの休刊。。。。
どうも、最後のヴァーリトゥードの決勝戦で、相手を殺してしまったことへのファンからの批判がきっかけとなり、事実上、続きを書けなくなってしまったらしい。
陸奥圓命流は「人殺しの技」。 そして相手は心に悪魔を潜ませた神父。
殺さなければ、殺される。
しかし、最後に陸奥九十九の中の「修羅」が、陸奥圓命流の究極の奥義が、相手の「悪魔」を倒す。
悪魔が心から消えた神父は、養っている子供達に優勝賞金で暮らしを少しでも楽にしてあげたくて、悪魔が消えた後も九十九に向かってきた。
力尽きた後も向かってくる「神父」に戻った相手を、九十九は手加減などせず闘い、そして、結果として相手が死亡してしまう。
ファンは、「なぜ相手(神父)を殺した」「人を殺した殺人者が一番強いと言うのはおかしい」と痛烈に作者を非難した。
陸奥がそれを、人を殺めたことを後悔するのではなく、作者(川原正敏氏)がファンからのメッセージを見て、後悔はしていないけど、"書けなく"なってしまった。
ストーリーとしては、それで「正しい」から。
陸奥圓命流は人を殺めるための技であり、ストーリーとしてこれを進めていくと、また大きな悲しみを持った「死」を目の当たりにするのは見えており、作者としては迷路に入ってしまったのだろう。
たかが「マンガ」であり、作者が自分の「意」のままにマンガを描けない。
そんなバカなことが、実際にここで起きている。
つまり、主人公の「陸奥九十九」が、そして「陸奥圓命流」と言う技がすでに一人歩きをしていて、作者もそれを止められない。
それを追いかけて描き続ければ、読者から非難を受けるのはわかっている。
異なるストーリーを書きたくても、陸奥圓命流と言う技の前にはどのようなストーリーでも最後にあるのは、悲しみを伴った死のみ。
でも。。。。
「たかがマンガ」だけど、これだけ読む人を熱くさせてくれるもの。
休刊して既に10年経っているけど(実際は「修羅の刻」と言う外伝が継続してはいる)、
続きを読みたいなぁ。
九十九の父親や、舞子とどうなるのか。
九十九は“どこへ”向かうのか・・・
![修羅の門2](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/25/0000512625/77/imgdb3b10a2zik8zj.jpeg)