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カテゴリ:小針の日記
こんにちは、こはりです。
なんでよりによって私が… ガンをはじめとする現代医学で難病とされる病気の診断が下されたとき、即座に思い浮かべるのが、この図式ではないでしょうか。 「病気=死」 もっとものようでもありますが、果たして本当にそうでしょうか。 よく考えてみます。 病気になっているとき、あなたは生きています。 病気を経て死ぬことはあっても、病気が即座に死を意味するのではありません。 図式化するとこうです。 「病気→死」 つまり病気と死が並存することは、決してありません。 むしろ病気と生が並存するのです。 「病気=生」 生まれてから一度も病気をしていないという人がいたら、一度お目にかかりたいと思います。 どんな姿形をして、いかなる人格で生活をしているのか、個人的に大変興味があるところです。 しかし、残念ながらそんな人はいないだろうと思います。 人生を大局的に眺めたとき、この世に生を受けてから、止むことなくずっと病気をし続けているのが人間という存在ではないでしょうか。 様々な病気を経てきたから、今元気に生きているのではないか。 そうした発想に行き着いてもいいはずです。 巷間、健康法や治療法と呼ばれるものがごまんとありますが、その真贋を見極める基準として、病気を敵対視し排除することを旨としている方法はすべて偽物であると個人的には思います。 なぜならその目的は実現することがないからです。 今までの人生における事実、つまり生命の法則を無視して、病気を敵対視し排除に躍起になる無謀。 「病気は生にとって不可欠である」 この前提で、いかに前向きに病気に向き合っていくか。 そうした方法を提示できるものこそ本物だと思います。 病気を誤解し、死をいたずらにおそれること、これを不幸といわず何でしょうか。 どうせ病気するなら、卑屈にならず、胸をはって病気をしようではないか。 さらに、どうせ病気するなら、質の良い病気をどんどんしようではないかと提案したいのです。 病気の原因は生活万般あらゆるところにあると思いますが、大別して、肉体的、精神的、宿命的なものに分けられるでしょう。 いずれも、不可分で複合的なものですが、あえて病をして、生活の是正に取り組まず、心持ちを気にかけず再発する病を、質の良くない病気と言えないでしょうか。 履修したカリキュラムを飽きずに何度も繰り返しているようなものです。 一度履修したカリキュラムは、テストにパスして、さらに上級に進んでいくという気構えが、その病気を有意義にして質の高いものにします。 しかし現実は、とんとん拍子にスムーズにいくことなどほとんどないでしょう。 それでも、上を目指していくことに意味があるはずです。 「全肯定全活用」 そこからはじめて、みずみずしい生が立ち現れてくるに違いないからです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.12.11 00:56:42
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