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今日のメッセージをお伝えいたします。 「時間を濃縮すること」「無理をしないこと」「頑張り過ぎないこと」「体を大切のすること」 でした。 霊能力について様々な意見がとびかっており、皆様は困惑されることありますが、何点か説明いたしましょう。 1.恐怖心をなくすこと。 2.霊性がでてくると、一見は不幸のような出来事がおきる。 3.なぜ、そうなるかは、人格が低いからであります。 4.人格を向上させれば、おのずとそのレベルとの波長があわなくなるため、今度はハイヤーセルフといわれている守護天使との波長があうことができる。 5.つまり、一見に自分にマイナス的にみえる事柄に関して、どのように対処しますか?という試練なわけです。ここで本当の意味での霊性を獲得する意味合いを持ちます。 6.ここで、一つ矛盾が生じるのが気付かれるとおもいます。 それは、不幸な出来事を「試練」として取るか?又は「因縁」としてとるか?ということです。 皆さんは「因縁」という言葉を悪くおもいがちですが、「因縁」という漢字をみると、「原因」「縁」とわかれ、「原因」は「きっかけ」とおきかえられます。 つまり、資産家であれば、「財産」を引き継ぐのも因縁であり、また、ガン家系といわれている方もDNAレベルで考えても縁がありますから、因縁です。 また、よく因縁をつくりだすといいいますが、知らず知らず皆様はしているのです。 それは、「一生懸命に働けば、お金がもらえる」という言葉があります。 「働く」という「きっかけ」が存在し、その結果「お金がもらえる」という結果がでております。逆に「強盗」をしたら「逮捕」されるわけです。 これが因縁の根本的な真理ではないのでしょうか? さて、「因縁」と「試練」との関係性は?ということになりますが、 霊的な話をするのであれば、後悔の念でなくなった方が先祖にいたとします。 そのご先祖さんは、このことを伝えたくて仕方がないのです。 言い方を変えるのであれば「試練」として伝えてくるわけです。 しかし、悲しいかな、ご先祖は生きている人間に対し、なかなか話が伝えることができません。そうなると、気付いて欲しい為に、立ち止まって話を聞いて欲しいために、不幸にみえるようなことも含めて現実におこすようになっていきます。そこで生きている人間が、「なんでだろう・・」と考えるわけです。しかし、この問題を解決して欲しいと先祖は願っているのですが、生きている人間は「不幸」な出来事でしかとらえようとしません。 ここで、「溝」ができるわけです。 分かりやすくいいますと、「辛いこと」は心にきざまれます。だから、よりその状態を考えるわけで、それから「対処」する。 一つ例を出すと、 1.交通事故ばかりおきる。 2.不幸な自分だと感じる 3.抜け出したいと感じる 4.その状況のメッセージには先祖が暴走行為をして人をあやめてしまい後悔の念がある 5.それを理解してあげる 6.それから、いい方向に対処していく。 ということです。 結論として「因縁」と「試練」はイコールなわけです。 こんな話もあります。 「神社」は未来にむかうこと 「寺」は過去を改めること と感じる人は少なくありません。 「神社」では先祖崇拝をし、家をつくる前に未来の安全の為に地鎮祭をします。 「寺」 は先祖供養をし、お墓参りをし過去の例をなぐさめるところでもあります。 しかし、地鎮祭は「地」の「神」をおさめることですから、「地の神」は昔からいていますので、過去に対して行動をおこしているとも考えられます。 また、お墓参りはよいよい未来の為に「ご先祖さんよろしく」という部分もありますかた未来に対しての行動ともいえます。 つまり、これも同じだということです。 霊能力者の方には かたよっている方は、 お寺を大事にされる方は「先祖供養」を常にいい神社を大事にする方は「心のあり方」を唱えます。 根本は両方とも同じなわけです。 また、あたる霊能者やすごい有名な霊能者=人格者ではありませんのでここも注意が必要ですね。 また、今の時代でたくさんのスピリチズムをといただされてますが、根本で伝えたいことは同じなわけです。 「感謝」ということだけですね!! 先祖に感謝する。今を感謝する。未来の為に感謝をこめて行動する 皆様も近所のお寺でもいいし、神社でもいいですので参拝することで運気はすこしずつひらけていくとおもいます。 これから奈良県の大峰山に修行にいくか悩んでいるところです・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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