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![]() 子供を連れて、奈良県の大峰山へ修行しにいきました!! 実は今年から小学一年生の長男の雄光(たけひこ)が滝行をしたいといいましたので、一緒にしました。 この大峰山の龍泉寺は今までの滝の中では修験道(山伏)の発祥の地ということもあり、かなり「きつい」滝でございます。(僕の中では一番修行になる滝です) まあ、親としては嬉しいやらですが・・・ 何事も経験ですので、僕が先に滝行をして、それから息子としました。 お不動さんの真言を三回唱えるまで、雄光はがんばっており、無事に滝修行を終えました。 さすがにブルブル震えておりましたが、着替えてからお参りする頃には元気にはしゃぎまわっておりました。 まあ、わずか6歳ということで修験をしたわけですので、これからの彼の人生においていい経験になればいいとおもいます。 最初はお参りということで子供らが飽きて、ぐずるのではないのでは?という懸念もありましたが、「冒険」「探検」のような気がしてきて、雄光も今度、どこを探検するん?と聞いてくるくらいになり、充実した一日を過ごすことができました。 さて、いろいろメッセージがでてきました。 主要なものをのせようとおもいます。 1. 神頼みは全ての人間がする 2. 厄年は運気が乱れる時 3. タロットの中に必ず男女の契りがある・・・ 1. 神頼みですが、滝行をしている中でたくさんの方とお会いします。 もちろんされない方ともお話します。 中には、「僕は神様を信じていないから、滝行とかに頼りたくない・・」 という方もいらっしゃいました。 もちろん、それは個人の個性の一つですが否定を決してしません。 実は僕も「神頼み」などは全く信じてなかったです 初詣の時に、「病気をしないように・・・」と祈ったのに、関わらず、風邪をひいて寝こんだことがあるからです。 それから社会人になり、いろいろなことを経験して、ほんまにどうしようもなかった時になんとかしてくれ~とおもったり、誰か助けてくれ~とおもったりして気づくわけです。 結局、最終的には目に見えない何かに祈ってしまう。 そういうときは、大体、不幸というか・・とんでもない時にきづくわけです。 ですので、そのような状態になる前に、目に見えない何かの力を感じて、祈ることが大切なような気がしてなりません。 もちろん僕は強制することもありませんが、結局することとなるわけですから、今から心の準備をするのもいいかも知れませんね・・ ちなみに超能力や霊能力は、それを本気で理解し、まじかに感じて、本気で信じることでできるわけです。 4. 厄年は運気が乱れる時このことは、皆さんは厄年=不幸なときと考えている方がほとんどです。 実は「焼く年」ということが語源ですので、このことはどういうことを意味するのかといいますと、「人生において、いらないものや、不必要なものや関係をなくして、身軽になるということなのです」 逆に必用なものであれば、余計に密接になっていくわけです。 このときに表面的に不幸なこと幸せなことかの境目はそれまでに生きてきた中身になるのでしょう。 徳を積んでいる生きかたであれば、ものすごく飛躍的な年になりますし、また、不道徳な生きかたをしてたなら、辛いことが多くなるとおもいます。 人生における途中清算なのでしょう。 商売に照らし合わせるなら、一年に一回の決算期なのでしょう。 そう考えれば分かりやすいのかもしれません。 もう一度いいますが、厄年といわれているものは人生において、不安定になるときであり、決算期ということであります。 そこから仕切りなおしをして行動しなさいという誰にでもでてくる大切なメッセージなのでしょう。 今日はこの位にして寝ようとおもいます。 ではおやすみなさいませ・・・・ http://www.koumeican.com http://www.cantrader.com お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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