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![]() 体の内部の力を振り絞るように、立ち向かい、冷たい水と共に自然と同化して 参りました。 午後からは、住職さんに祈祷してもらい 心が澄み渡るお経を聞き、いい一日を過ごすことができました。 そして25日はクリスマスです。 子供達のプレゼントを 夜中にそっと枕元において 朝、喜ぶ姿はすごう嬉しいものでした。 本日は 過去生についてお伝えしたいとおもいます。 過去生はいくつもあります。 数え切れないくらいあるかもしれません。 同じことを今でも繰り返しているのかもしれません。 過去生を繰り替えすことが悪いことではありません。 人によって時間がより理解するのには時間が必要なことがあるかもしれません。 学校の勉強でも居残りをして始めて、理解することもあるわけです。 僕はインドのことを勉強したことやいろいろ経験をしてきました。 その中で、ベジタリアンにならないと、あと4回は転生しなくてはならない・・ という方に出会ったことがあります。 その当時は知識も乏しく、その方はダイヤモンドを手から出せる人でしたし そうなんだ・・と納得していましたが 知識と智慧が深まってくるに連れて、何か違うのではないのか・・・ と考えるようになっていきました。 つまり、転生は繰り返すことは悪いことではなく、 その一つ一つに意味があり、しなくてはならない宿題があるのです。 転生が多い=悪い という二極的な感覚では霊の世界を理解することは難しいとおもいます。 白か黒かではなく、 灰色もあるということを理解しなくてはなりません。 つまり中立です。 中庸といってもいいかもしれません。 日本の言葉では「わび」「さび」 といってもいいかもしれません。 日本庭園において「枯山水」というものがあります。 あの気持ちを理解するのは日本の文化を知らないと難しいとおもいます。 一般的に霊のことをいうと、ポルターガイスト現象のような派手なイメージがあります。 僕は霊の世界とこの世はなんら変わりがないとおもいます。 むしろ霊の世界のほうが住みやすいとおもいます。 日本において、霊の話は「呪い」とかしんみりする話が多いとおもいます。 アメリカでは、「ラップ現象」のように派手なものが多いとおもいます。 つまり国民性です。 磁場といってもいいかもしれません。 どちらの霊があ~だ、こ~だではなく、 単なる個性に過ぎません。 さて過去生から話が大分それてしまいましたが 鑑定において過去生をみると、現在の運気に影響を及ぼしていることは多いようです。 しかし過去生に原因があるのではなく、「心の癖」 つまり生き方に問題があるのだとおもいます。 心癖は意識しない中で無意識でしてしまいます。 この無意識だからこそ、罪悪感が薄く、また理解しにくいところなのです。 無意識は潜在意識と言い換えることができるができます。 潜在意識は顕在意識を動かす、起動力のようなものです。 プロのミュージシャンを目指して歌を練習するというように・・ 過去生を知るということは自分の心癖を知ることであり そのことを理解することで未来へ生かせるということです。 鍵を草むらに落として探すときは、一人で探すより皆で探すほうが効率 がいいはずです。 遭難した人を捜索するときもかなりの人数で探していきます。 この鍵はここにおいては「未来へのキーワード」 ですから、一人で探すより複数の人間で探すといいわけです。 その複数の一人に 友人や家族、そして霊能者さんや占い師さんが いるのだとおもいます。 過去生リーディングといったようなことが 占いなどにおいて「流行」だとおもいます。 実は本質においては「心癖」を見つけることでありますから なんら今までの霊視鑑定や占いにおいて変わりがないのです。 ただこの「心癖をみつける」鍵のアクセスが昔と若干に違う だけなのだとおもいます。 僕は過去生とみて、現在の運気をだす鑑定をしておりますが 過去生にこだわらずに、現在の運気にもこだわらずに 自分のいい心癖、悪い心癖を理解して頂き、新しい未来へ向って頂ければ 嬉しくおもいます。 過去生は過去に生きることと書きます。 昨日は、すでに過去であり、過去生だということを考えていただくといいかも しれません・・ 明日はレイキ伝授の日となります。 いいレイキができるように瞑想をして 心と体を整えて頑張っていきたいとおもいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.26 00:23:24
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