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このころ、夜遅くまで鑑定などすることも多く
さすがに眠い日々が続いております・・・ ですが、不思議と朝走って 家で空手の朝練をして 夜はボクシングへいって心身とも鍛えております。 巷では「徳を積む」という言葉があります。 霊能者さんに、徳をつみなさい・・とか 過去生で徳を積んできたとか・・ カルマを積んできたとか・・ いわれることがあるかとおもいます。 いったい徳を積むとはどのようなことなのでしょうか・・・ 中には般若心経を毎日3回唱えなさいとかいうことを おっしゃる方もいます。 最終結論からいうと、この過程はあながち間違いではないのですが 徳を積むという本質は、少しでも誰かのために役にたったり 無償で何かを手伝ったりすることを意味するとおもいます。 横断歩道でおばあさんが歩いているのであれば そっと手をとってあげて安全に渡してあげたり・・ コンビニにいって買い物をしてお釣りをもらったら、 その中にある小銭を幾らか募金箱に入れてみることや・・ 御母さんのお手伝いをするなど・・・ そんな日常にあるものをして頂くほうが 滝修行をただするより、徳を積むことになるのではないでしょうか・・・ 僕は滝修行は趣味みたいなもので 好きですし、あってますし、武道をしているので なんかかっこいい感じがするからしているだけであり 徳を積むということは考えたことはまったくありません・・ 徳を積むという中で 大きなキーワードは「人間と交わることをする」ことがあるのではないでしょうか・・ うまく間をとりもつ。 つまり人と人との「間」「ま」を潤滑にすることが大切なことであり そこに無償の愛があるのであれば最高でしょう。 逆になんかしらないけど失敗してしまうひとや 最後の最後でうまくいかない・・といったようなこともある人もいます。 その方は人と人との間をうまくとれていないことが多いようです。 このことを「まぬけ」=「間抜け」というわけですね。 武道や、ボクシンングにおいても自分が攻撃でき、かつよけられる自分の距離が あります。 それを「間合い」といいます。 なんとなく、ここに法則性が見え隠れしておりますね・・ 「ま」をうまくとれるように精進し そして、その「ま」を使い 第三者との心のつながりなるのであれば素晴らしいとおもいます。 ここにお互いが人生においての利益を生み出すことのできる「得」が存在し 「徳」に変化していくのだとおもいます。 何度もいいますが「徳を積む」ということは 少しでもボランティア精神をもって行動することに 他ならないということではないでしょうか・・・ 逆にカルマとは自分の思だけを相手に押し付けたり 悪口をいったり愚痴をいったりする自分の悪い癖で相手を傷つける行為だとおもいます。 別に特別なものではなく、現実のものとして把握していただき まっすぐに生きて、知恵をもっていただくのであれば 大殺界や厄年はとるにたらないものになるのだと信じております。 まだ来ぬ未来に恐れをもつのではなく 過去に生きることもなく いまをただ精一杯生きればいいだけです。 数年後にフォトンベルトかあ~だこ~だとかいわれており 人類の大半が死ぬとか言われておりますが 死ぬ時は死ぬわけですから その時位は手でも合わせてあの世にいけばいいだけだとおもいます。 死は終わりではないことを臨死体験や幽体離脱的なことを 経験するとよくわかるのですが 死んでもあまりかわらない・・ということが 僕の意見ですね・・・ 前世鑑定 霊視鑑定 光明館 http://www.koumeican.net お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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