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2008年12月5日
0:13~0:37 「術」と「学」 この頃、常に時間があれば瞑想を行ったり 霊視の基本トレーニングをしたりする時間が増えております。 また祈りにおいても、 心がまっすぐで、憂いのない状態の時に 時間や場所を問わずに行っております。 お客様の中に 鑑定術を学ぼうと考える方、 現在学んできた方、 鑑定士さんとして活躍されている方と出会う機会が多くなってきております。 霊視鑑定の勉強やレイキにおいて 当方の方では面接をさせて頂き お伝えしてのいいか悪いかを判断させて頂くようにしております。 本日のブログのお題にあるとおりに 「術」と「学」のお話をしようとおもいます。 巷に書店で売られている占いの本などは 「術」の分野の本だけです。 つまり受験勉強位の勢いで そのような本を丸暗記する勢いで勉強すれば 誰にでも「術」は公平に身につくことでしょう。 しかし、ここに落とし穴があります。 「術」を学んだだけでどれだけの鑑定士さんが活躍されておられるでしょうか?・・ 意外と少ないことに気付かれるとおもいますし、 中には鑑定術を学んだばかりに不幸になる方をいらっしゃいます。 ここで「学」ということになるのですが、、 前者を「運命術」と呼ぶのであれば 後者を「運命学」と呼ぶと考えられます。 運命学とは、宇宙全体、人類全体の法則性を理解することを意味しております。 簡単にいうならば、「道徳」であり 「徳」を説く道を意味していることに気付かれるとおもいます。 いくら鑑定術が素晴らしくて、当たるといわれていても 頼みもしないのに勝手に他人のことを鑑定してもいいのでしょうか・・ 僕は、人の庭やお風呂を入っている姿をのぞき見する行為であると考えております。 つまり、ここに道徳性を問われることとなるわけです。 実際に、「実は俺見えるんだぜ・・」といって 勝手にみる人もいるわけです。 これは「術」に溺れてしまった典型的なパターンになるわけです。 この方は未来どうなるのか・・と考えてみたら なんとなくわかるとおもいます。 のぞき見をした人生、プライバシーを侵害したことによる人生は あまり芳しくないような気がします。 また、四国の霊能者さんのことを記した言葉があります。 「霊能者の最期は憐れなり・・・」というものです。 人助けをしているのに何故、憐れになるのでしょうか・・ 実はここにも落とし穴がありまして 皆が口をそろえて、人の為にしてきた・・というわけです。 人の為と書いて「偽」となります。 つまり偽りの人助けになるわけです。 では、どのような流れがいいのでしょうか・・・ まずは自分の為に鑑定術などを使い人生において満たされることをして それから他者を満たしていくことをすることが大切なわけです。 お金に満たされていなかったら・・・ 健康に満たされていなかったら・・・ そのような鑑定士さんに 病気のことや商売のことを聞いて いい知恵を頂けるでしょうか・・・ 答えはNOだとおもいます。 つまり占い師さんや霊能者さんは人生の達人でなくてはならないわけです。 達人だから、いい方向に向かえるアイデアや知恵を頂ける。 だから人生に満たされるようになるわけです。 本来は鑑定士さんは 「術」より先に「学」を学ばないと 長く続かないわけです。 「運命学」を学んだから、「運命術」と調和でき 本当の意味で使えるわけです。 このことから 鑑定士さん選びは 「占術」=「鑑定術」よりも その鑑定士さんの人柄を見抜いていくことが大切になるとおもいます。 満たされていて温かい鑑定をされる方にみていただくことで きっと人生において幸福になる糸口や選択を頂けることとなるでしょう。 僕もまだまだでございますが 少しずつ、温かい鑑定ができるように精進していきたいとおもいます。 霊視鑑定 前世鑑定 光明館 http://www.koumeican.net お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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