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北上川流域は、鎌倉室町と四百年葛西氏の領地だったところ、
信長に滅ぼされ占領された近江国の六角氏の一族、 宇治川の先陣争いで有名な佐々木四郎高綱の子孫が、 水沢本吉に入り葛西氏の勇将として北上川周辺を領知してきた。 弓と馬術の天才で六尺豊かな貴公子であったといわれる 佐々木承禎六角義賢の血筋であろうか、 葛西領佐々木氏の勇猛ぶりは、すさまじく、 豊臣秀吉の奥州仕置軍に徹底抗戦した。 寺池城、佐沼城での激しい篭城戦となった。 民心、いきおい京儀を嫌い、 豊臣浪人を冷視する北上川沿いの旧葛西領である。 船岡城主原田宗資のもとに輿入れする津多。 なにもかもあきらめた悲しい花嫁姿。 初恋の別れに泣く、忠次郎。 津多は、やがて姉弟二児の母親となった。 弟は、伊達騒動の立役者となる 原田甲斐宗輔である。 京美人の祖母お種に似た 色白の美男子である。 母に、似てないーです・・・か。 伊達政宗は、 お種に似た孫、宗輔をかわいがった。 けっ、娘は可愛いくないけど、孫は、可愛いってが・・・。 四国王長宗我部元親との交流から 孫である忠次郎を、可愛がる伊達政宗、 忠次郎の鷹狩の腕はめきめき上達した。 鷹狩の腕なら忠次郎に負けないと、 幼子を置いて、鷹狩にむかう津多。 津多に、政宗の平手がとんだ。 政宗の独眼は、幼い頃の病気によるもの。 死線をさまよう政宗を残して義姫は実家の最上家にいた。 幼子を置いて鷹狩に来た津多への怒り。 義姫に似て生まれたのは、私の責任じゃないと、 もって行き場のない気持ちを忠次郎にぶつける津多。 「忠次郎の馬鹿・・。」 なぐられても、無抵抗の忠次郎。 歳月は、 大阪城から救出された頃の、 死の影におびえる戦災孤児を変貌させた。 そして、 船岡城の津多は、 二児を抱えた未亡人となった。 源平の昔からの船岡城主で、 現在は、米谷城に領知している伊達家の重臣柴田家の 当主柴田宗朝が、 伊勢参りの帰路、栃木の間々田で病死した。 子供がなかったので、政宗は、 針生実信に再嫁していた宗朝の母が生んだ娘、 柴田宗朝の異父妹を、 忠次郎と結婚させて、 柴田家を継ぐように命じた。 元服式が、執り行われ、 忠次郎は、柴田外記朝意を、名乗った。 しばたげきとももと、朝は、頼朝の朝である。 津多は、船岡城に住む自分への嫌がらせかと怒った。 忠次郎は、津多の、 嫉妬まじりの邪推が、 少し、嬉しかった。 柴田宗朝の伯母で 伊達政宗の側室である阿山の方と、 忠次郎の母の阿古姫とが、 仙台城大奥で隣室なので、 忠次郎の養子縁組が決まった。 それだけの、ことだったが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年12月23日 18時39分28秒
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