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歴女の館 夢うさぎ塾・三館

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2008年12月23日
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津多の娘志保が死別した梁川宗元は、
寺池城主白石若狭守宗直の息子である。
白石宗直は、政宗の命令で梁川家の長男でありながら
白石家に養子になった。
政宗は、その時、
生まれた男子の一人に、
父の生家梁川家を再興させるという約束をした。

二代藩主伊達忠宗は、
家光と春日局と忠次郎との繋がりから、
米谷城周辺の統合の柱を忠次郎と定め、
梁川家と白石家の同族も、
一本化しようと考えた。

市町村合併案。

それが、政治というものである。

再婚拒否など予想もしなかった忠宗である。

忠次郎は、
長宗我部の一族である吉松氏を
側室に迎えることで、藩主忠宗を納得させた。

島原の乱が起こり、
西洋から援軍が来ると信じた一揆勢は、
全滅した。
津多は、
キリシタン同志の争いで
植民地争奪戦も黄金の国ジパングの宝探しも
蚊帳の外
とつぶやく。

世界情勢詳しい津多。
そんな娘の将来が心配なお種。
津多は、祖母義姫に似て生まれた自分は、
父を苦しめるために生まれてきたと悩んだ過去を打ち明ける。

忠次郎の側室が、
幼子を残して二十一歳の若さでなくなった。
忠宗は、再び、志保を忠次郎の側室にする話をもちだした。
米谷城付近の市町村合併案をしめしての
説得に、追い詰められた志保は、さっさと、
親子ほども年の離れた上遠野氏の後妻になってしまった。

二夫にまみえずの前言をひるがえしたと怒った忠宗は、
梁川家を断絶させてしまった。

それを聞いた津多、
前言をひるがえせと言ったのに、
ひるがえしたのが悪いと廃絶とはと、
烈火のごとく怒った。 

幼い主君かかえ浪人した梁川家家臣たち、
船岡城に身をよせた。

梁川家家老の春日は、苦労人、
再婚拒否事件の真相をかたらないが、
息子の原田甲斐は、
姉のわがまま
母の暴言で、
こんなことにと、
甥の百助を片手に抱いて、津多に説教。

ことここに及んで、頼みの綱は、お種である。

お種は、お福とお種の昔のことを話ながら、
津多を連れて江戸に向かった。

お福は、
伊達忠宗の正室として仙台に輿入れした
振姫の侍女として、
江戸大奥から、
仙台城大奥に入った三沢紀伊の近況などをたずね、
津多を見て、
伏見屋敷で生まれた姫様ね・・とほほえみ、
往時、
従姉妹の阿古姫母子の救出と保護を,
お種に委ねたことの礼を述べた。

女性最高の地位にまでのぼりつめ、
大奥に君臨するお福が
悔いを残すのは、
恩人である叔父長宗我部元親の一族が
滅んだこと。

大賀陣の時、京都所司代の板倉殿に頼んだだけでなく、
自分が直接、盛親の説得にあたっていればと、
悔やまぬ日はない。

帰国後、まもなく、お種は、
波乱の生涯を閉じた。
同じ年、伊達忠宗側室の櫛笥貝姫が、
のちに仙台藩六十二万石を、
存亡の危機にさらすことになる伊達綱宗を出産した。





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最終更新日  2008年12月23日 19時27分30秒



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