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テーマ:野の花(1020)
カテゴリ:思い出
幼少期の記憶である。
「薗はききわけが良いから、薗だけ連れて行こう。」 薗は3歳だったと思う。 そうすると、父は34歳でまだ若かったことになる。3人姉妹のうち、もっとも女の子らしくなかった薗は父の一番のお気に入りだった。薗だけが、父に同行することになった。
国鉄(JRの前身)での長い長い旅だった。当時、半日がかりの旅だった。行きは寝台車で、父と一緒のベッドで休んだ。夜中も早朝も走り続ける夜汽車はいつお休みするのかしら?と思い、いつまでも寝付けなかった。窓から見える電線は、上に下に移動して、生き物のようだった。
着いたのは、父の故郷だった。 何ゆえ遠路はるばる帰省したのか、薗はその理由を知らず聞かされてもいなかった。 ただ、誰かが病気だったり、不幸があったりしたのではなかったらしい。
最も近い国鉄の駅で下車し、車でさらに1時間ほど行かなくてはならなかった。当時の道は悪かった。 父の故郷は田舎で自然豊かだった。その風景は今でもほとんど変わらない。 あのとき山は緑で、まだ蝉が鳴いていた。当時暮らしていた北関東では聞かれない鳴き声だった。薗はミンミンゼミの声しか知らなかった。 川は澄みきっていた。水が透明であることに驚いた。当時暮らしていた北関東では、川は工場からの垂れ流しと家庭排水で濁り、泡だっていた。生き物など棲めそうになかった。 しかし、ここの川では水が冷たいほど澄み、魚がたくさん泳いでいるのが見えた!3歳の薗は大興奮だった。 川で父の仕掛けたわなに魚を追い込むことに夢中になり、水の中で転んでずぶ濡れになった。 捕らえた魚で比較的大きなハエや鮎は、祖母が七輪で焼いてくれた。ごりやはぜの小魚は佃煮となった。 姉妹などの遊び相手がいなくとも、田舎では外遊びに飽くことがなかった。
数日滞在していると、いきなり田の畦が赤くなった。 薗は、この時初めて彼岸花を知った。北関東の水田の少ない土地に暮らしていたので、彼岸花など見たことがなかった。 その美しさにすっかり魅せられてしまった。 「彼岸花、好き・・・」薗は純粋にそう思った。先入観のない、素直な感情だった。
なんとかその美しい花を、姉妹と母に見せてあげたいと思った。 そして、父の故郷を離れるその日、畦でたくさんの彼岸花を摘んだ。祖母が新聞紙で包んで花束を作ってくれた。誰も止める人はいなかった。
再び、長い長い旅である。 旅の途中でたくさんの大人たちが、彼岸花の花束を抱いた薗に話しかけてきた。 連絡船でも、在来線でも、新幹線でも、その時出会った人たちは「彼岸花には毒があるんだよ」と教えてくれた。 薗は、この美しい花に毒があることを信じたくなかった。
まだ暑さの残る中、半日以上を移動に費やして北関東の自宅に戻ると、彼岸花はしおれて、花弁は桃色に変色していた・・・。 赤い彼岸花を姉妹と母に見せてあげられなかったことは残念だったが、しおれても彼岸花は美しい、と薗は思った。 花がしおれることを知ったのもそのときだと思う。枯れることとの違い・・・。 帰り道、たくさんの大人たちが教えてくれた彼岸花のことをたくさん姉妹と母に語ってきかせた。
毎年彼岸花が咲く頃になると、幼少期の記憶が蘇る。 幼少期の記憶なんてあてにならないものだが、「彼岸花が咲いたから、あれは今の時季だったことは確か」幼少期の薗の記憶に誤りはないと確信している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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