沙羅双樹

2012/04/10(火)00:13

戦争犯罪免罪学

国際(11)

 どうやら信楽提督さんの学んでおられることは『戦争犯罪免罪学』のようなもののようです。いかにして日本の戦争犯罪・戦争責任を隠滅するかを研究しているらしい。これにかかれば、侵略も植民地支配もみんな合法で正しかったことになってしまいます。当時の為政者ならばそういった感覚を持っていてもおかしくはないでしょうが、現代においてこのような感覚を持つことは異常なことです。  ご本人としては不本意だとのことですが、このようなことを学生に教えておられる教官の見識はやはり疑うより他はありません。日本のためならアジアは犠牲になっても仕方がなかったなどという結論に学生を至らせることは、教育者による新たな戦争犯罪であると言っても過言ではありません。  信楽提督さんは教わった用語を駆使して論じていますが、私の立場からするとそれらは全て屁理屈なのです。大日本帝国の戦争を考えるにあたってそれらの屁理屈を私は必要としませんので、定義は勝手にしていただきたいと思います。また対米開戦直前の状態をつくりだしたのは日本の軍国主義です。アメリカから石油を輸入していたにもかかわらず、アメリカとの関係を悪化させたのは自分の首を自分で絞めるに等しい行為です。マヌケとしか言いようがありません。  分をすぎた帝国主義をまとってアジアに甚大な被害を及ぼし、それを最後まで捨てられなかった大日本帝国の為政者達の不明を私は糾弾し続けたいと思います。同時に、再び日本が戦争を行う要因をつくりだしているのであれば、それら全てに反対していきたいと考えます。 >従って日本が対米開戦へ向けて軍事行動を起こしたのはまさにギリギリの苦渋の決断であったといえます。  国民のためではなく、国体護持のために誰がその「ギリギリの苦渋の決断」を下したかと言えば、昭和天皇に他なりません。国民の信を問うたわけではありませんので、責任の最後の行き場は昭和天皇をおいて他にはおりません。無謀な戦争に全国民を巻き込み苦しめたその責任は歴史上免罪されるものではありません。 >前回も申しましたが閣僚の決定事項を天皇の個人的意思で覆す事は立憲君主制においては出来ませんでした。  大日本帝国の国体の場合は違います。本当に昭和天皇の意にそぐわないことをいずれかの機関で行えば「朕自ら近衛師団を率い此が鎮定に当たらん」とすることができました。2.26事件に際しての昭和天皇の発言は特別なことではなく、昭和天皇が有していた大権を世に知らしめた具体例ととらえるべきでしょう。 >従ってまず、私人間の道徳律を国際政治に持ち込むのはおかしいとおもいます  それこそ『戦争犯罪免罪学』の真骨頂です。法律で定められていなければどんな非人道的行為をしてもいいという論理です。他国を侵略し、その国民を殺すことは非人道的行為です。人道は法律などという枠を超えて存在する人類普遍の原理ですから、これに反する行為は人間としてやってはならないのです。  国際政治は常に強者の論理で動くものです。ですから、強者の免罪符の役割にしかならない国際法を盾にとって理論を組み立ててみても、実際には何の役にも立ちません。 >日本は韓国に賠償はしていません。また、法律上も賠償する義務もありません。 『戦争犯罪免罪学』の観点からするとそういうことになるのでしょう。しかし実際には1965年に『協力』という名の戦後賠償をしています。また中国に対しても、ODAの贈与がなければ国交正常化はなかったと思います。無条件降伏をしていて、植民地支配や侵略を行った国々に対して何もしないで済まされるはずがありません。  以上長々と話してまいりましたが、大日本帝国を免罪することは新たな戦争につながると私は考えます。近代史において何を日本がやったのかを実際的に解明し、二度と同じような状況をつくりださないことこそ、日本人としての重要な役割です。  当時の法律がどうだった、だから犯罪ではないというような研究は大学の中でしか通用しません。今後アジアとの連帯を進めていくならば、そういう『戦争犯罪免罪学』のような偏狭的な愛国心しか生み出さない考えは有害です。それでも、自分たちの考えが正しいと思うなら、今日のアジア各国による反日行動に対してその論理でもって抗議するといいでしょう。

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