行政書士として、新米パパとして、日々感動・成長!

2006/11/02(木)01:49

什の掟に思う

こんばんは、ホソカワです。 2日連続で「什の掟」のトラックバックをいただきました。 多くの方が、教育について考えられていることを感じます。 「ならぬものはならぬ」確かに、その通りですね。 ・・・・・・・・・しかし 流れに逆らうようですが、私は、少し疑問を感じます。 「ならぬものはならぬ」と言って、今は通じないからこそ これほどの問題になっているのでは? 「ならぬものはならぬ」その通り・・・いい言葉だよね・・ そうじゃないとね・・・で、納得して、現実に目をつむる。 マスコミが煽り立てているように、問題が起こったときに、 誰かを悪者にして、一件落着にする。 どちらも根は同じではないでしょうか。 物事の本当の問題点に目をつむって、なかったことにして しまう・・(厳しい表現で、申し訳ありません。) 難しいことばだから、伝わらない・・・出来ない・・そんな論もあるようですが、 教育は「国家百年の計」とも言われます。 日本でも紹介されている各国のいじめ対策では、「計画」をたて、 実行し、「検証」して、また「実行」する。 10年単位の継続した取り組みをしています。 それだけしても、その取り組みで、すべてがうまく行っているのかと言うと そうでもありません。 イギリスのいじめ防止プロジェクトでは、 参加した学校のうち、計画通りに実行できたのは、半数に過ぎません。 プロジェクトの中でも、様々な異論、反発があったことが、伺えます。 それでも、こどもが安心して育っていくには、という原点を、ゆるがせにせず、 このプロジェクト以外でも、学校、地域、警察、医療、カウンセラー、民間団体、 が様々な知恵を出し、時に対立、連携しながら、問題に当たっています。 それぞれが、自分たちの頭で考え、知恵を出し合いながら、取り組んでいることが 伝わります。 私は、「知る」こと、「学ぶ」ことの大切さ、と「知らない」ことの恐ろしさを この仕事のなかで、常に感じます。 「知る」こと、「学ぶ」ことは、自分の頭で考えることにつながります。「知らない」 ことは、誰かの言葉に流されることだと。思います。 今、多くの人が誰かのことば(マスコミ悪論ではないですが、マスコミの言葉が多いでしょう) に踊らされてませんか? ふと感じるのは、いじめも「いじめる子」という「誰か」に、流されていることなのでは ないでしょうか。 自分の頭で考えようとしている大人がいて、自分の頭で考えられるこども(周囲に流さ れない)こどもが育つ。(難しい話ですみません。)そんな思いがします。 教育に注目が集まっている(いた・・・かな)、この時期に、テレビを消して、新聞を 閉じて、先人たちの取り組み、諸外国の取り組みなどを自らの目を通して、頭を使って 考えてみることが、大切ではないでしょうか。 「ならぬものはならぬ」ということばが、マスコミ発で出て、それが感覚的な共感で 終わってしまうことに、苦しい気持ちです。 少なくとも「ならぬものはならぬ」と、言うのなら、 「ならぬものはならぬ」・・・「なぜ、ならぬ」 それに答えられるだけのことばと裏づけを持った、そのうえで言うことが大切では ないだろうかと、私は感じています。 「ならぬものはならぬ」で通じた時代、それは、そのことばが実体験に裏付けられた 重みのある言葉であったから・・・・ そして、こどもが持つ情報・世界は狭く、おとなの持つ情報・世界は、こどもにとって まぶしかった時代・・・・ そして、今この時代は、マスコミュニケーション、インターネットなど多くの情報のなかに あって、「情報」と「バーチャルを含めた世界」は、大人とこどもが逆転した世界です。 どうしてもこむずかしいですね。 もっと、わかりやすくかけない自分に、またまたもどかしさを感じます

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