2017/10/16(月)14:55
第1696回 Memories of BASEBALL
高校時代は野球部に居た。
中学校の時、無能の極みな顧問にブチ切れて最後の大会をボイコット。
(翌年、ボンクラは更迭)
そんな事もあり、とにかく楽しんで野球がやりたかった。
自分の学力でいけそうなのは3高。
先ずA工業は当時の友人で、中学校のエースが進学予定。
更には工業系の事はなんで却下。
続いてB高は監督が異常に厳しく、選手間でもストライキが起こった程。
でも後に甲子園にも出たし、プロへも何人か輩出している。
そんなレベルだから"楽しむ”なんてもっての外。
因みに県大会出場を懸けた決勝戦で何度か対戦するも、悉く返り討ち
そして、余談ではあるが中学時代に"玉砕”した女の子もこの高校に進学。
自分的には勉強は厳しいレベル&スポーツ=ダメ
トドメに彼女が彼氏と歩いてる姿を見たら、テンション下がって負け犬になるのは必至
最終的に自分に一番レベルの合ったC高を選択。
通学に自転車で40分&校則を異常に順守する石頭が居るのは参ったが・・・
野球部は夏の大会で未勝利で部員も少ない。結構居た同期も結局2人まで減った。
そこでピッチャーをやりたいと申し出た。
しかし、変化球を全く投げられず、細かいルールも知らない
まぁA・B高なら即失格クビになってたと思う。
そんな自分を起用する位、人手不足のチームは当然連戦連敗
それでも当時の監督は試合に出してくれて、本当に有難いと感謝。
この方は自分達の学年主任で、県の高野連でもかなり偉い人らしく、強豪校の監督が挨拶に来てた。
退任後はテレビで解説もやってたっけ。
2年の秋季大会で思いもよらぬ出来事が起こる。
県下最強の私立高と1回戦で対戦する事になった。
しかも、相手のエースは小学校で一緒にプレーした男。
その頃から身体能力はズバ抜けており、中学ではボーイズリーグでプレー。
翌年の春夏に甲子園へ連続出場し、更に数年後プロから上位指名。
まぁ"メジャーvsマイナー最下部”なんだから、試合にならないのは判っていた。
練習試合は絶対組んで貰えない相手。
そのグラウンドで"守備練習”しよう
初回、先頭打者が打った。よしショートゴロと思いきや打球は左中間へ。
センターが追いついた時には、既に打者は2塁を廻っていた
何で"センター前ヒットが3塁打”になるんだ!?
よく見ると、相手は身体が小さいが同い年と思えない位の肉厚の体型。
自分の棒球を悉く弾き返していく・・・
完全試合こそ免れたが、予想通りのコールド負け。
悔しさよりも爽快感の方が強かった。
その後もチームは負け続け、最後の大会では一死も取れず無残なKO劇
悔しかったけど、ある意味で自分らしい結末だったと思える。
大会前から調子は最悪で、フツーのチームなら"先発剥奪”レベルの惨状だったにも拘わらず、
前年から就任した新監督は「背番号1」を自分に授けた。
"3年間よく頑張ってくれたな”という労いもあったのかもしれない。
結果は出せなかったけど、本当に楽しかった。
この2人には、今も心から感謝している。