テーマ:TVマイブーム(649)
カテゴリ:愛知・名古屋
昨日から楽しみにしていた、中居正広の金曜日のスマたちへの大名古屋メシ物語を見ました。
あつた蓬莱軒のひつまぶし。千寿の天むす。矢場とんの味噌かつ。山本屋総本家のみそ煮込みうどん。風来坊の手羽先。と、いろいろな名古屋メシが紹介されました。 知らないこともいっぱいあったな。 味噌かつのルーツは、屋台で酔っ払いが、串かつの味が薄いと言い出して、横にあった“どて煮”(赤みそで牛スジを煮込んだ名古屋ではお馴染みの料理)の中に串かつを入れて食べてみたら、おいしくて、その時となりで飲んでいた人が(この人が「矢場とん」の創業者)が味噌かつを思いついたとか。 手羽先のルーツは、元々、若鶏の唐揚げが受けていた店が、発注ミスから手羽先しか手に入らず、油で丸揚げにしてみたところ、これが大成功だったとか。 みそ煮込うどんのルーツは、大昔、主婦が味噌汁(この地方なので、もちろん赤味噌)にうどんをそのまま入れれば湯がかずにすみ、手間がかからないなと、そのような食べ方が始まり、その家庭の味をヒントに始めたとか。 天むすは、元々は三重県の天ぷら屋さんのまかない料理で(…天むす発祥の地が、三重県ということは知ってたな(^▽^)/)、それを食べたことがあった女性(この人が「千寿」の女将)が、元は時計屋を営んでいたのだが、商売が上手くいかず廃業となり、何か始めなければと、この時のことを思い出し、三重県の天ぷら屋さんに1ヶ月通いつめ、作り方を教えてもらい始めたとか。 そして、この天ぷら屋さんがタクワンが嫌いで、きゃらぶきを付けていたのが、きゃらぶきが天むすには添えられている理由とか。 そして、何故、この天むすが全国に広まったかというと、当時、名古屋の仕事の多かった(´ω`) 鶴瓶さんが、天むすを東京や大阪にお土産として持ち帰り、東京のテレビ関係の人が口にしたことから、全国的に広がったということです。 ひつまぶしは、明治末期、うなぎ屋「蓬莱軒」の配達係が配達時によく器を割ってしまい、割れない器として“木製の器”を思いつき、その器は、5人分が入るくらい大きくて、配達先のお店で取り分けていると、どうしてもうなぎの大きい小さいが出来てしまい、苦情がきたため、取り分けに便利なように、細かく切るようになり、それにやがて、お茶漬け好きな名古屋の文化から、だし汁をかけて食べるようになったのが始まりのようです。 そして、ひつまぶしの名前の由来は「おひつにうなぎをまぶす」からきているとか。 この、ひつまぶしのルーツには、お梅さんという女中さんがいて、「器を割れない物にしたら・・・」とか「うなぎを細かくしてみたら…」と提案をしていた影の功労者がいたそうです。 とても、気立てが良くみんなに頼られている方だったそうなのですが、二代目の甚三郎氏が亡くなられた時、店を乗っ取られるのではと、思い込んでしまった、娘に店をおわれ、結婚していなかったお梅さんは、養子をとるのですが先立たれ、30年前にひとり寂しくこの世を去ったそうなんです。 その話を、現在の「蓬莱軒」の大女将が涙ながらに話されていました。 この話は、悲しかったですね。 「蓬莱軒」のタレといえば、130年継ぎ足し継ぎ足しされている秘伝のタレで、総料理長も作り方はわからないそうなのです。 それを聞いて、「もし、地震とか何かがあって、タレがなくなってしまったらどうするんだろう」と思っていたら、このタレ、他の県に別に保管してあるそうなんです。C=(^◇^ ; ホッ! これを聞いてひと安心(笑)。 その保管場所は、大女将と若女将しか知らないんだって!
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最終更新日
2005.08.19 23:48:12
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