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日本は極東の国、聖徳太子曰く「日出ずる国」である。太陽は日本から上る。日本神話の主神はアマテラスで太陽神、国旗は太陽、それほど日本には日の出が重要だった。紀元前、一説には北イスラエルの失われた十部族は日本に流れてきた、そして紀元後には、景教は日本が終点だったという。
私も、昔富士山の五合目から眺めたご来光の荘厳さは今でも目に焼き付いている。先日、そんな朝日の素晴らしい画像を、小金井在住の友人Oさん(多分Airbnbでのホスト交流会で知り合ったはず)からプレゼントされた。この方はカメラワークが神的で、目を見張るような富士山の画像も頂いている。 一方で日の入りも感動的。今日私は、雲に遮られて可視できる程度のお日様が西の空に沈みつつあるのをカメラに収めた。Oさんの作品とは比べるべくもないが、やはり美しい。日の入りでは、海に沈みゆく真っ赤なハワイ島の太陽を、毎回何十分もかけて見つめ続けていたのを思い出す。 夕焼け小焼けの景色は何か物悲しくて短調・秋を感じる。以後暮れていく時間と活動が始まる時間との違いなのだろう。また、朝日は本来眠りに就いている時間に敢えて起床して眺める非日常的なもの。方や夕日は、人間の活動時間の只中に誰でも体験できるものだから、より馴染み深い。 自然信仰・アニミズム・多神教は原始宗教と位置付けられ、そこから発展してより高級な一神教が生まれた、という順序で説明されることが多い。キリスト教は高級、神道は低級という価値観。しかしそれはキリスト教の思い上がりというものである。 自然現象に神を感じるのはごく自然であり、その中に八百万の神を感じるのは人間の本性である。一神教の神と八百万の神は同じ単語で表すから混乱が生じる。古事記に所謂「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」の顕現が太陽や海や雷であったりする。そう考えるとすっきりする。 自然信仰、それは一神教と矛盾したり敵対するものではなく、包摂する、両立するものであると私は思う。太陽に神を感じることのどこがいけないのか。ベートーベンの「自然に於ける神の栄光」そのものではないのか。 バタ臭くない、日本人のためのキリスト教を目指して、争うのではなく影響し合っていくものでありたいと改めて感じた。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 29, 2023 10:33:23 AM
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