TSUREDURE

2024/04/13(土)01:21

平山郁夫シルクロード美術館

一日を使える貴重な中日、無駄にするつもりはないが、単なる観光ではない使い方はないものかと決めあぐねていた。今回は読書三昧をするのだ、と厚めの書籍もいくつか持参した手前、部屋に籠って、ということも考えた。それで観光するにしても多くの場所巡りではなく、単発にしようと決めた。  そこで目に入ってきたのが、​標記美術館​である。この地域にあるとは知らなかったが、何度もテレビ等で特集を組まれていたシルクロードにかかる作品があるというのだ。天気もすぐれないので建物の中の方が、という動機もあり、朝方入浴後に向かった。閑散としていて独り占め状態である。  既に故人であるが、美術に造詣のない私達からみても斯界の巨匠である。展示されている画に力が漲っている気がする。ゆったりと鑑賞することができた。  特に展示の最初の部屋に置かれていたガンダーラ時代の石仏の数々、何も知らない段階では、大英博物館が力に任せて略奪に近い方法で集めた作品に満ちているのを見て感じた煮えたぎる思いを感じたことは偽りない。だが、現地に放置すれば破壊されてしまう運命にあるのを救ったのが事実と知らされた。  イスラム原理主義者の石仏爆破事件が映像に残されていてそれに気づいた。これらの石仏は現地にあれば存続できなかったものなのだ。実に情けない人間の業の深さを改めて痛感した。また、そこに一神教の恐ろしさを感じることができる。  私が大学生の頃、教会学校で子供たちに聖書を語っていたが、そこでは例えば盆踊りは異郷の祭りなので参加してはならない、という姿勢が主流だった。今では断言できる。これらは習俗ではない、宗教行事ではある。だが日本人にとって確かに宗教行事なのだが、キリスト教と同レベルではない。もっと広いのだ。  イザヤベンダサンの所謂日本教キリスト派として、何の矛盾もなく両立できる、今ではそう考えている。だから、平山郁夫は仏教を究めたが、偉大さはキリスト教芸術に自らを捧げた人々より劣っているかけでは決してない。神様はそんな心の狭い存在ではないのだと、特に神道と日本仏教に対しては主張できる。  よい中日の使い方ができたと自画自賛である。

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