|
テーマ:今日のカンボジアって?(524)
カテゴリ:旅行・海外情報
カンボジアで、胡椒農園を営み、加工して、小売、卸売りの販売を行っています。
起業したてのころは、畑の近くに済み直接開墾など畑の手伝いもしましたが、収穫ができるようになってからは、もっぱら販売の為の営業活動に力を入れるため、首都プノンペンに移り住み、在住者の方々や出張でいらした方々のお土産屋としてカンボジアペッパー専門の直営店を経営しております。 最近では有機農業協会(カンボジア・オーガニック農業協会:通称COrAA)の政策担当役員(副会長)を務めたり、全カンボジア胡椒生産者協会設立に向けてのお手伝いをさせて頂いたりというようなことも全てボランティアでやらせていただいております。 そういった経験やカンボジアに居る年数の為か、日本からカンボジア進出を考えていらっしゃる企業の方々や、NGO・調査の方々、その他いろいろな方々が弊社にご訪問くださいます。 すべては、カンボジアの主幹産業である農業の発展の為。 カンボジアでは国民の70%が農業に従事しているといわれています。田舎に居て現金収入を得られるような仕事をやっていない人は、とりあえず自分の飢えを少しでも満たせる為何かしらの畑を作ったり、親類縁者の田んぼを手伝ったりしている為、農業従事者と呼ばれているようです。 そんな農家が多いカンボジアの農業を活性化するためには、どうしたらよいのでしょうか。 農業の大先輩が今日弊社を訪問して下さったので、日本の農業と産業についての経験をお話して頂きました。 先輩の話によると日本も40年代から50年代までは農業に従事していたひとがマジョリティーだったそうです。 その農業従事者の生活を安定向上させる為、日本政府は農家から高い値段で米を買い、安い値段で消費者に米を販売するという政策をとりました。 では、その米を政府が買い付ける際に出る差損は誰が負担したのでしょうか。 経済産業界の負担によるところが大きいとのことでした。 経済産業界としては、当時給料は、米価を基本に算出されていたので米価が低ければ賃金も低くすむ、しかも元来貧しかった農村の安くて豊富な労働力は、とても魅力的だったようです。 さらにいままで農家が1反の田んぼをつくるのに170時間という時間を割いていた作業時間をを30時間まで引き下げる事が出来る、いわゆる農作業の効率化(化学農薬・肥料の普及、機械化など)を進めていきました。 そして出来た余暇を使って農家の人々は、近くの町工場で働きに行くようになる。いわゆる兼業農家が広がっていったのです。 兼業で得た所得のおかげで農家の所得にもゆとりができ、車や家電を購入できるようになりました。そうしていくうちに、副収入だったはずの所得がいつの間にかメインになりどんどん農家は減少していったのでした。 かたや工業としても、農家の所得が上がった事で工業商品がどんどん消費され、小さい町工場からどんどん大きくなり、後から後から増え続ける町工場を下請けや孫請けなどの仲間にしていき、どんどん効率よく生産できるようなりました。 農業界も工業界も皆幸せでした。そのピークは、70年代であり、日本の成長が著しかった頃であったということです。 カンボジアと比較してみると根本的に違うのは、カンボジアの経済産業界には農家から米を高く買って消費者に安く売るための差損補填できる業界がありません。 大先輩の経験談を聞きながら、カンボジアの農業の方向性を再度考えさせられました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jun 5, 2012 08:33:05 PM
コメント(0) | コメントを書く |
|