テーマ:都市計画・まちづくり(105)
カテゴリ:古河市の発展
「広報古河」3月号に、市政懇談会のダイジェストが掲載されました。市政懇談会とは、市長と市民が直接顔を合わせ、市長が市政報告を行い、市民が意見、要望、提案をするというものです。市を12の地区に分けて行われました。広報古河については市ホームページにPDFで公開されています。
その中で、南古河駅についての質疑応答がなされています。「駅の設置と周辺整備についてどう考えているのか?」という質問に対し、市側は区画整理や費用についての回答をしています。私は「これでは、なかなかうまくいかないだろうな…」という直感をいだきました。 なぜならば、駅を作るということが、将来の発展構想の中にきちんと位置付けられないままに話を進めているからです。これでは、市をどのぐらい発展させたいかが明確ではないですね。重要な都市としての発展を望むのか、現状の小都市の延長線上に生きていくという選択をするのかですね。これによって駅が必要かどうか、どういう役割が期待できるのかの認識は大きく異なってきます。 市側の説明を聞くとほとんどの人が、別に駅がなくても<今>困っていないのだから、いらないのではないかと感じることでしょう。ましてや、面倒な地権者との折衝や、高額な費用を示されれば、尻込みしたくなるのは当たり前です。そうではなくて、将来的にどうなりたいのかという視点、そして当市内部の問題ではなく、茨城県、関東地方、日本という国の中の位置づけで考える視点の2つが必要だと、私は考えます。 「米百俵」という話があります。これは小泉元首相が語られたエピソードなので、ご存じの方も多いと思いますが、ご紹介しましょう。幕末の戊辰戦争のとき、敗れた長岡藩が困窮していたのを見かねて、三根山藩から百俵の米が贈られてきました。これを当時の藩の大参事・小林虎三郎は「食べてしまえばそれきりだが、教育費用に充てれば、明日の一万いや百万俵となる」と言って学校を創ったのだそうです。 新駅を作ることが将来の繁栄につながるのか、とりやめてその費用を他のものを作ったほうがいいのか、あるいは政治家や職員および市民で山分けしてしまったほうがトクなのか、そこらへんから話を始めなければならないのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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