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テーマ:日本のお城(218)
カテゴリ:ふるさと自慢
歴史博物館にて、古河城の特別展をやっているので見てきました。そう、かつて古河にはお城があったのです。惜しいことに、現在は、城自体もお堀も、ほとんど何も残っていません。果たして、古河城とはどのようなものであったのか、ここで皆さんにご紹介したいと思います。
『永亨記』という室町時代の書物によると、古河城の起源は、源頼朝の弓の師だった鎌倉幕府御家人であり大荘園主の下河辺行平(しもこうべゆきひら)の館であったそうです。室町時代、足利尊氏の子、基氏から数えて5代目の関東公方、足利成氏(あしかがしげうじ)は内紛により、鎌倉から古河に拠を移しました。555年前のことでした。 そして、江戸時代、古河城は譜代大名の城となり、土井利勝(どいとしかつ)、堀田正俊(ほったまさとし)という2人の大老をはじめ、数多くの老中を輩出し、将軍の日光社参の際にも御泊城となりました。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』には「芳流閣(ほうりゅうかく)」として古河城が描かれています。 展示のメインは「郭(くるわ)」でした。本丸、二の丸、三の丸、東帯郭、西帯郭、丸の内郭、観音寺郭、諏訪郭、頼政郭、立崎郭。古河城は、これらの郭(曲輪とも書く)によって構成されていたとのことです。古河歴史博物館は、ほぼ諏訪郭跡にあたります。城から突き出したところにあるので別名は「出城」です。 古河城は、明治・大正時代に渡良瀬川の改修工事によって、ほとんど全ての遺構が取り壊されてしまいました。しかし『展示図録 古河城 水底に沈んだ名城』を拝見すると、今の三国橋から新三国橋の間の土手がほぼ昔の古河城にあたるということがわかり、もやもやしたものがとれました。天守閣にあたる御三階櫓の20分の1の軸組模型や、櫓に乗っていた鯱(しゃちほこ)の実物も見ることができました。展示は11月28日までですので、ご都合が合えば、この機会にご覧ください。駅から自転車「コガッツ」号を借り、まずは博物館見学の後、かつては古河城がそびえていた渡良瀬川の土手の上をサイクリングするのも一案でしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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